国語史資料の連関

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2004-01-01から1年間の記事一覧

2004-06-05

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』暦日部「ゾンダフ」 (二)ゾンダフ 文久三?年版『横浜奇談?』に、「彼の国には、ゾンダフといふ事あり。此ゾンといふは、洋語の天なり、ダフとは、幾日/\といふ日の事なり。我国の七曜の中、日曜日なり、八日め/\に当…

2004-06-04

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』暦日部「幾世期といふ始め」 幾世期といふ新語は、加藤弘之訳『国法汎論』にあるを始めとすべし、と社友に教へられ、早速同書(明治五年四月の小引あるもの)を見しに、その凡例に、果たして左の数行あり。「幾世期ト記ス者…

2004-06-03

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』地理部「公園の名称の始め」 Parkは、英和辞書類には、「囿又は獣を放し飼ひする所」と訳せるが多く、これに、公園の訳を当てしは、いまだ知るところなし。もつとも、この二字は、『北史』に、「任城王澄、為二定州刺史、…

2004-06-02

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』交通部「郵便はがきの名付け親」 (五)郵便はがきの名付け親 前島密の『鴻爪痕』に、大蔵省五等出仕にて、紙幣局印刷部の監督なりし青江秀は、駅逓権正前島密の旧友なり。その者の案にて、西洋のポストカードを、はがきの…

2004-06-01

■ [その他]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「古本陳列即売会の始め」 (一)東京 「記録類ことごとく焼亡したれば、年月の判然たることは分からざれども、十四、五年前なりしかと記憶す。横浜なる貿易新聞社?長富田氏が、横浜に古本店なし、願くは出店して…

2004-05-31

■ [その他]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「直輸入の洋書店」 洋書店の丸善は、早矢仕有的といふ医者の開創なり。美濃国武儀郡笹賀村の医者早矢仕氏、二十三歳のとき笈を負うて江戸に出で、医術修業の傍ら蘭学を学び、また福沢の塾に入りて英学を学び、…

2004-05-30

■ [その他]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「洋書店」 慶応三年発行『万国新聞紙』第四号、六号の奥付に、発行書肆とあるもの。 横浜本町通八十三地 ハルトリー 同太田町三丁目 大黒屋茂兵衛 同駒形町 伊勢屋勝郎 同弁天通五丁目 師岡屋伊兵衛 同太田町…

2004-05-29

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「保険の始め」 (一)保険の語原 保険は明治後の新名にて、最初は、「災難請合」あるいは「危難請負」などといへり。慶応二年版『事情』次篇の坤に、「災難請合の事イニシアランス、生涯請合、火災請合、海上請…

2004-05-28

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「会社の語原」 会も社も、文字の本義は、一字にて衆人集団の意義なるべけれども、今日にては、それを二字重ねて法律的にも動かすべからざる新語となれり。されば、最初は種々の意義に用ひ、役所、仲間、組合、…

2004-05-27

■ [言語生活史]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「広告霞字?の始め」 明治二十六年、村井吉兵衛?紙巻き煙草ヒーローを売り出してより、盛んに広告を行ひ、同二十八年京都における第四回博覧会のとき、如意ケ岳の山腹に霞の棚引けるごとく、白くヒーローの…

2004-05-26

■ [近代語]石井研堂『明治事物起原』金融商業部「銀行の名」 武藤長蔵氏の詮鑿によれば、支那広東に康熙五十三年(本朝正徳四年)の記識ある銀行会館の鐘銘存在すといへば、支那には、銭荘金銀舗などと同類の営業に、銀行の名称ありしことは、やや古きことなり…

2004-05-25

■ [言語生活史]版権保護の始め(石井研堂・明治事物起原 第八) 幕府その威力を失ひて、百事弛廃し、出版界も、重版偽版の不徳漢乱出し、これを取り締まる法律の力が完備せず、福沢氏は、慶応三年版『事情』の外篇の三に、「書を著述し図を製する者も、之を…

2004-05-24

■ [言語生活史]活版も整版同様(石井研堂・明治事物起原 第八) 明治五年正月発布、文部省の出版条例第十三条に、「凡ソ活字ニテ出版スルモ、亦此条例ニ同シ、新聞紙.図画・肖像・戯作等モ、亦之ニ準ス」とあり、活版ものも、整版同様に、取り扱ふことを明ら…

2004-05-23

■ [学史]万国新聞紙 (六)万国新聞紙編輯者(石井研堂・明治事物起原 第八) (六)万国新聞紙編輯者 昭和三年二月十七日、文学博士大槻文彦氏病歿す。行年八十二。雑誌『国語と国文学』大槻博士追悼号に、同博士の自叙伝を、明治四十二年十月七日−十五日の『東…

2004-05-21

■ [学史]近藤真琴(石井研堂・明治事物起原 第八) 近藤真琴は海洋学者にて、数学をよくし、また国学に深し。天保二年九月二十四日、江戸麹町の鳥羽藩邸に生まれ、幼にして父を失ひ、蘭学と漢学とにて藩侯に仕へ、文久二年、始めて幕府に召し出され、軍艦方…

2004-05-20

■ [近代語]言文一致論(石井研堂・明治事物起原 第八) 明治十七年十月『東京学士会院雑誌?』第七編の一に収めし、神田孝平の「文章論を読む」一篇は、西村茂樹の、文章論に対する異見なるが、本邦の標準は、言語文章を一致するにあるを痛論せるものにて、い…

2004-05-19

■ [学史]チエンバレンの和学(石井研堂・明治事物起原 第八) 今日にては、本邦の文芸、美術、その他を学習する欧米人は、枡で量るほど沢山あらうが、外国崇拝熱の高かりし明治の初期にありては、これを学習する者などは、寥々たるものなりし。 本邦の古代文…

2004-05-18

■ [近代語]新聞字類(石井研堂・明治事物起原 第八) 慶応四年五月二日発兌の『内外新報』第二十七号の社告に、「方今我が新報の世に公行するや、益盛大にして、寒郷僻邑も到らざるなく、牧童漁児も看ざるなし。然るに、上書建言の如きに至つては、文字間々…

2004-05-17

■ 家庭の熟字(石井研堂・明治事物起原・人事部) 家庭といひ庭訓といふ、古来慣用の言語なれども、近来ことにこれを口にするに至れるは、明治九年九月十三日、慶應義塾出版社より『家庭叢談』を出せしによる。その発行緒言中に、「唯一家内の事のみを記して…

2004-05-16

■ 自由の語源(石井研堂・明治事物起原・人事部) 自由は古来通用の熟字なり。『心地観経』に、「常に乞食を行じ、以て活命し、出入自由にして他に属せず」と見えたり。 安政四年、米人ブリツヂメンが上海にて著はせし『聯邦志略』にFreedomまたはLibertyの…

2004-05-15

■ 社会といふ熟字の始め(石井研堂・明治事物起原・人事部) 社会といふ文字は、『正法念経』第九巻に、「何者か妄語を社等の会中若くは云々」、また「彼の人是の如く、社会等の中に妄語す、悪説す」などあれば、仲間衆といふやうの意義が、本義なりしなるべ…

2004-05-14

■ 外国語の混用(石井研堂・明治事物起原・人事部) 外国語の混用 明治初期には、ただに漢語を使ふことの流行せしのみならず(注)、洋語物名を混用することもまた多かりし。 ポリス、フラフ、ドンタク、オーライ、バンク、ハウス、ホテル、ポツトロード、テ…

2004-05-13

■ 出歯亀の語源(石井研堂・明治事物起原) 府下大久保四〇九、植木職池田亀太郎(二十五歳)は、出歯にして出歯亀の綽名あり、「穴のぞき」を好む色情狂者なり。 明治四十一年三月二十二日、西大久保三〇九幸田恭の妻ゑん(二十八歳)が、同町五十四番地湯屋前…

2004-05-12

■ [人名]姓名改称の禁(石井研堂・明治事物起原) 明治五年八月二十四日、華族より平民に至るまで、自今苗字名ならびに家号とも改称相成らず、ただし同苗同名等にて余儀なく差し支へこれある分は、華族および奏任以上は伺ひ出づべく、その余は各官庁において…

2004-05-11

■ 幸運のために(石井研堂・明治事物起原)【幸福の手紙】 大正十五年の夏、「貴下の幸運の為めに」と題し、「この手紙を受取つたら、早速友人三人に対し、之と同様の文句にて発信せられたし。幸運立ろに来るべく、若し発信せざれば悲運来らん云々」、受信人…

2004-05-10

■ 尖端新尖の語(石井研堂・明治事物起原) 「尖端を行く」といふ言葉が、今日(昭和五、六年頃)大流行にて、日々の新聞紙上には、必ず一、二ケ所に、この一句を見るほどの勢ひなり。 この尖端と同意義の新尖といふ新語——あるいは旧語かも知れない——が、嘉永…

2004-05-09

■ 丁年の始め(石井研堂・明治事物起原)【20歳で「成年」】 明治九年四月一日、太政官布達にて「自今満弐拾年を以て〈丁年〉と定む」とあり、「丁年」とは、もつぱら男子に使ふ語なれば、不穿鑿の用語なりと思ひしが、果たしてすぐにこれを「成年」と改正…

2004-05-08

■ 趣味の熟字(石井研堂・明治事物起原・人事部) 趣味といふ語は、明治四十年頃より盛んに座談、平話にも使用せられ、月刊雑誌の題にも、趣味、趣味の友、釣魚趣味など種々に使用せり。 箕作麟祥纂訳、明治六年秋刊行の『勧善訓蒙』続篇第八に趣味の一項あ…

2004-05-07

■ 当世通語(石井研堂・明治事物起原) 「先生少しく補助し給へ 真に開けた……給へに開けたは、輓近貴賤一般の通語」と明治十年刊『東繁』に見ゆ。「地震 小吏大息して曰く、不日将に地震あらん」(同上)と、「電線切断 諸君之を聴け、何某昨日官を免ず、全く…

2004-05-06

■ でんしんの語(石井研堂・明治事物起原・人事部) 明治五年十月『雑誌』第六十六号に、「一洋人某、客に謂て曰く、余窃かに察するに、日本開化の盛、実に五大洲第一等なるべしと、客之を訝る、洋人冷笑して曰く貴国官途電線の縦横網羅する世界曾て見ざる所…