国語史資料の連関

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2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2011-01-31

■ [国字問題]下村海南「漢字整理吟」 生といふ字の読み方は君よ乞ふ。驚くなかれ百六十五 『文字文化展覧会出品物解説』p.36によれば、オカ イチロゥ氏シラベ『ヤタガラス』?第1号ツイートする

2011-01-30

■ [国字問題]下村海南「漢字整理吟」 カナの如く一字一音なるべきに。一つ漢字を数知らずよむも ツイートする

2011-01-29

■ [国字問題]下村海南「漢字整理吟」 一つ文字をいく通りとなく読みちがへ。怪しまぬ国あり日本《にっぽん》といふ(又にほんといふ) ツイートする

2011-01-28

■ [言語意識史][待遇表現]お豆さん(澤瀉久孝) 柳田国男さんが関西の婦人は少し敬語を亂用しすぎると述べてをられたのは至極同感であるが、その一例としてあげられた「お粥さん、お豆さん」はむしろうれしい用ゐ様ではあるまいか。 澤瀉久孝『玄米の味』p.143…

2011-01-27

■ [言葉とがめ]ライス(澤瀉久孝) 京都のある百貨店の食堂の献立書を見てると和食と支那料理との部には「御飯」とあるのに洋食の部にはホワイトライスとあった。私は袂から鉛筆を出してその文字を消して傍へ御飯と書いておいた。(中略)三度目に行った時には…

2011-01-26

■ [言葉とがめ]外来語(澤瀉久孝) 「花の日」といへばその内容にふさはしい日本語である事は誰にもうなづける事と思ふが「美化デー」といふ標語はその内容をうらぎる事甚だしい言葉であって、これでは一向街を美しくしようといふ心にもなれないのである。もし…

2011-01-25

■ [表記意識]横書き(澤瀉久孝) 記載形式としても、縦書として右より左に及ぼすを本体とする日本文では見出し乃至扁額?や看板の類で、横書の形をとるものも右よりする事を本体とすべきは自明の理であり、先年朝日、毎日両新聞社で右横書に決定したのは事実に…

2011-01-24

■ パパママ問題(澤瀉久孝) 精神さへたしかであれば、子供にパパ、ママと呼ばせることや、母親がパーマネントをかけることやそんな形式にこせこせしなくてもよいではないかといふ意見に対して、その精神がたしかなればパパ、ママと呼ばせたり,パーマネントを…

2011-01-23

■ [言語生活史]年賀状廃止(澤瀉久孝) 年賀状廃止が唱へられはじめた数年前の事、ある若い人から「年賀御遠慮申上候」という挨拶状をうけとって私は驚いた。 澤瀉久孝『玄米の味』p.76 澤瀉久孝「年中行事その他」 文藝春秋22-2 昭和18.12.8夜稿了ツイートする

2011-01-22

■ [語釈]アッパッパ(澤瀉久孝) アッパッパという新造語で呼ばれた婦人簡単服が、ホームドレスといふ英語で呼ばれるやうになってから、右前に合はされてゐたボタンが左前になって、結局洋装の摸倣にすぎぬものとなってしまった。 澤瀉久孝『玄米の味』p.67 澤…

2011-01-21

■ どもり(近松門左衛門「信州川中島合戦」(輝虎配膳)) 葉公《せうこう》龍を好んで畫き刻めども。眞の天龍を見て魂を失ふ。是龍を好むにあらず。龍に似て龍にあらざる物を好むといはん。將の賢士《けんし》を好む賢に似て賢にあらず。少《すくな》い哉《…

2011-01-20

■ 猫で「なに」を「にゃん」(「にやんの事だ」) 洒落本の題名 天明元年刊 にやんのことだ。にやんだか分らぬ。にやんのおもしろくも。にやんともなひといふをすぐに。にやんのことだと。題すると云々 ツイートする

2011-01-19

■ 猫で「なに」を「にゃん」(文政雑説集) おみけ とらぶち/道行春雨にふかき軒端をしたひくる、道はあまたのひさしさへ、すべりこけじのみし/\と、がっくりつまづくかきから家、是おみけどの、ふとした事より人々の浮名、こたつのかまへ、ゑんの下、ひさ…

2011-01-18

■ 猫で「なに」を「にゃん」(近松門左衛門「博多小女郎波枕」) 簀子の竹のこま道具、有とある物塵も灰も、猫も直打(ねうち)ににゃん匁 ツイートする

2011-01-17

■ 隠語の話(日置昌一『話の大事典』) 徳川時代から明治時代にかけて侠客、香具師などの問に堂々とは口にしがたい場合に用いる彼等のみに相通ずる符牒の如き特殊の言葉を生ずるようになった。その内で最も廣く知られた強盗、窃盗などの用いる代表的な隠語を…

2011-01-16

■ いろは四十七字《しじゅうしちじ》の起源(日置昌一『話の大事典』) もと歌の言葉であるから「色はにほへとちりぬるを、我世たれそ常ならむ」と云うように讀まねばならないことは、誰れでも知って居ることであるが、この歌の作者はいずれも仁明天皇の朝の…

2011-01-15

■ 遺書の話(日置昌一『話の大事典』) 有名なる小説竹取物語の申で赫夜姫《かぐやひめ》が竹取の翁との別れに際し「文を書き置きて罷らん、戀しからん折々、取り出でて見給へ」とて打ち泣きながら書いた言葉に「此の國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程ま…

2011-01-14

■ 廓言葉《くるわことば》の話(日置昌一『話の大事典』) 徳川時代の中頃より江戸の吉原遊廓などでは他と異った廓《くるわ》獨特の里訛《さとなま》りの、なんす、しんす、ありんす、などの言葉が行われはじめ、遠國から來た女も、當國の女も一様なものとな…

2011-01-13

■ [字音]原音の違いに基づかない字音の使い分け 「省」は「セイ」と読むときは「かえりみる」、「ショウ」と読むときは「はぶく」の意である。旺文社編『高校受験の国語』(昭和37.4.1) p.379 ツイートする

2011-01-12

■ 英語・独逸・朝鮮・清国 曰く、英語は及ぶ所廣しと未だABC《エビシー》も知り得ず、又忽ち曰く独乙学は高尚なりと終に〓〓〓《アベチェ》を習ふ 曰く朝鮮は近し語学知らざる可らずと 然れども未だ가갸거겨《コフ キマフ カア キャー》を記臆せずして又…

2011-01-11

■ チープーパーなど西洋語 ソリャ拙者も成ほどチープーパーなど西洋語こそ知らないが 西村天囚『屑屋の籠』第三回 ツイートする

2011-01-10

■ [この人が作った]すべて軍隊で作られた 「残飯」「点検」「たるんでいる」「ボサっとしている」「処置なし」「ハッパをかける」「気合をかける」「割をくう」「適当にやる」 以上、すべて軍隊で作られた言葉である。 古川愛哲『『坊っちゃん』と日露戦争』…

2011-01-09

■ [この人が作った]日本平和会の【平和】 明治二十二年、北村透谷などが「日本平和会」を組織し、明治二十五年から『平和』を発刊した。(中略)「平和」という概念は「日本平和会」によって翻訳されたものである。 古川愛哲『『坊っちゃん』と日露戦争』「…

2011-01-08

■ [この人が作った]和田垣謙三の【バンザイ】 帝大経済学の和田垣教授が口を開き、「万歳、バンザイ、万々歳」を提案した。これが承認された。通説では帝大総長の外山正一の発案とされているが、当時の関係者は和田垣教授と記録する。 古川愛哲『『坊っちゃ…

2011-01-07

■ [この人が作った]徳富蘇峰の【青年】 明治二十年三月、熊本県から上京した徳富蘇峰は、『新日本之青年』を刊行した。(中略)「青年」という言葉が世間に定着をはじめるのは、本書からである。 古川愛哲『『坊っちゃん』と日露戦争』「「青年」という言葉…

2011-01-06

■ [言語遊戯]難波津に 習はずに 書くやこの仮名 文字交じり 今は加羅にも 書くやこの仮名 「古人」とあるが、誰だったか。 福本日南『石臼のへそ』p.137 近デジ所収はページ数が異なる。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952075/70ツイートする

2011-01-05

■ [人名]女の名前の始(日置昌一『話の大事典』) 古くは比賣《ひめ》、郎女《いらつめ》、媛《ひめ》、度賣《とめ》、刀自《とじ》などの文字を用い、子という字をつけるようになったのは奈良朝の頃からである。貞丈雑記に「女の名に子の字を付ること上代よ…

2011-01-04

■ 女詞の話(日置昌一『話の大事典』) 飲食の席において禮儀を重んじ婦人をしてその食品を呼ぶを憚らしめ、飯を御臺または供御、菓をおきはり、魚を御まな、味噌をむし、鹽をしる物、豆腐をかべ、索麺を細もの、醤油をむらさきなど稱するようになったのは室…

2011-01-03

■ [この人が作った][文字]ヴの濁字の語源(日置昌一『話の大事典』) ウに濁《にご》りを打つことは昔《むかし》はなかったが明治初年に福澤諭吉が西洋書籍の飜譯にあたり、無頓着に濁をつけてヴヰ(V)という音を譯出したのが始まりで、それから一般に用いら…

2011-01-02

■ [方言意識史]大阪人(日置昌一『話の大事典』「挨拶の話」) 中国人では朝ならば「朝飯を食ったか」また夕方ならば「晩飯は食ったか」と食事の否應《ひおう》を先ず聞くのが挨拶であり、恰も大阪人が逢えば「儲《もうか》りまっか」とか「景気はどうだす」…