2011-01-14
■ 廓言葉《くるわことば》の話(日置昌一『話の大事典』)
徳川時代の中頃より江戸の吉原遊廓などでは他と異った廓《くるわ》獨特の里訛《さとなま》りの、なんす、しんす、ありんす、などの言葉が行われはじめ、遠國から來た女も、當國の女も一様なものとなった。その由来について松浦静山の甲子夜話に「吉原町遊女の言葉は、自ら一種をなして都下尋常の言葉と異《ことな》り、此言葉はもと駿河の方言なり、御入國(天正十八年八月に徳川家康が江戸に移ったこと)の後、駿河の遊女を此都に遷されしより、此言葉傳はるとそ、されば今も駿河の遊女町にゆきし者の話を聞くに、此都花街の言葉に違《たが》はずとそ、それにつき近頃ある遊女の口占《くちすざみ》にせし歌とて聞く、人の擬作《ぎさく》か、古今集東歌の比《たぐひ》ならん呵々、お富士さん霞の衣ぬぎなんし雪のはだへが見たふおざんす」とあり、また北里見聞録に
「北女閭起原曰、総て廓と號《なずく》る所には、里訛《さとなまり》とて外所と違ひたる詞《ことば》あり、わきて武陽の北廓なる里語《さとことば》は、ひときは耳だちたる事多し、
或老人のいへるは、爰なる里語は、いかなる遠國より來れる女にても、此|詞《ことば》を遣ふ時は、鄙《いなか》の訛りぬけて、元より居たる女と同じ事に聞ゆ、此意味を考へて、いひならしたる事也とそ、△なんせ△みんす△しんす抔《など》を初として餘國に聞かざる詞多し、奇語ともいふべし、なほ娼家には其家々にて行はるる言葉ある事また一風なり、なまりの一つ二つを爰に記す、
(さうざます)さようでございますといふこと也、
(なんざんす)なんでございますといふこと也、
(おつせん)ございませんといふ事也、
此外しつたか玉や、ざんす丁字屋、おす松葉やなど家家の訛《なま》り、あまねく人のしる所なれば略す」
とあり、また其他に松葉屋|言《ことば》の「おす、おくんなんし、わっち、きいした、じれったふす」丁字屋言の「ざんす、わっちやア、どうともしなんし、何ざんすか、きれい、おたのしみ、いいなんし、ちょっとみな」角玉屋言の「こんな、あきれけへるよ、こんたア、ぼち/\、ちゃき/\、おまへさん、にくらしい」扇屋言の「ほんだんすかへ、だんす、わたくし、きふう、ひねる」などが擧げてある。
馬鹿らしうありんす國の面白さ(安永)
憎うざんすと狐められる面白さ(文化)
まあでなく明瞭《はっきり》うんと言《いひ》なんせ(文政)
言憎くありんすねと気味悪さ(安永)
時鳥《ほととぎす》聞きんしたとは年増なり(明和)