国語史資料の連関

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2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2006-04-30

■ [方言意識史]「青森と鹿児島」 ◎此島正年「青森県の方言」『講座方言学4 北海道・東北の方言』国書刊行会 昭和57.9.30発行 p.215青森県は本州最北の県で、本州(ママ)最南の鹿児島県と種々の点で対照して注意される地方である。ツイートする

2006-04-29

■ 「室町言葉」 ◎司馬遼太郎「武士と言葉」初出『オール読物』1970-9刊 今文春文庫『余話として』1979.7.25第1刷による。p122〜p130しかし日本語に標準語ができあがったのは明治からではなく、もっと前の室町時代であるようにおもわれる。「室町言葉」 が、…

2006-04-28

■ [方言意識史]通じていますよ。 ◎柴田武『生きている方言』筑摩書房グリーンベルト・シリーズ63 昭和40.3.15発行p.13NHKの「教養特集」という番組で出した七元放送「日本語ところどころ」(昭和34・3・22)で、その最初に、弘前の老人と鹿児島と老人が初対…

2006-04-27

■ [方言意識史]青森県と鹿児島県 ◎対談/大野晋・司馬遼太郎「日本語・・その起源の秘密を追う」(A大野晋『対談 日本語を考える』中公文庫1979.10.10の14頁。もと中央公論社刊1975.11)(B司馬遼太郎『日本語と日本人』文春文庫1984.8.10「日本語の起源の…

2006-04-26

■ 宮城野にひとりなまらぬうづらかな ◎金田一春彦『ことばの歳時記』新潮文庫 昭和48.8.30発行 p321(もと『ことばの博物誌』文藝春秋 昭和41.11.30発行 p174 さらにもと「東京新聞」連載 昭和40)鳥酔といふ人の俳句に「宮城野にひとりなまらぬうづらかな」…

2006-04-25

■ 北は陸奥より南は筑紫の端まで ◎芳賀矢一「細川幽斎と太田道潅」(『明治読本』にありと、大島庄之助『中学/国語の話』大正5.2.11発行大正12.2.10第十版にあり。)応仁の大乱以後、北は陸奥より南は筑紫の端まで世は刈薦の乱れ/\て、ツイートする

2006-04-24

■ [方言意識史]秋田の人と鹿児島の人 ◎川岸華岳『続机上便覧』三立社*日本でも秋田の人と鹿児島の人と発音の調子がちがってゐる。ツイートする

2006-04-23

■ 上田萬年 「国語と国家と」(『国語のため』明治文学全集p110下) 千島のはても、沖縄のはしも「国語研究に就て」(『国語のため』明治文学全集p116下) 此国語学は、国文学者の言葉などをば、日本言葉の一部分だけとして研究するので、他の大工左官のことばも…

2006-04-22

■ [方言意識史]九州人と東北人 ◎堀江秀雄『国字改良論纂』明治35九州人と東北人との言語相通ぜぬのみか、四分五裂とも支離滅裂ともいふべき程 (『日本語の歴史6新しい国語への歩み』p.346)ツイートする

2006-04-21

■ [方言意識史]九州人と北海道人の談笑 ◎堀江秀雄「言文一致」明治32.7.25〜9.25「国文学」七号〜九号 山本正秀『発生編』p.865試に茲に四五人の九州人と北海道人とが相集まりて、談笑すると爲う。(中略)何れか一方の人が永らくは其の席に居りたくない様に…

2006-04-20

■ 楽石社 ◎『新聞集成明治編年史』12(p28) 明治36.3.7 時事伊沢修二氏は……樂石社と称する一社を設け、……東北九州其他の地方の訛言を矯正し、或は吃者?を治し唖者?に発言せしむる等のことをも伝授し得るに至れりといふ、ツイートする

2006-04-19

■ [方言意識史]三陸の言語不通 ◎『新聞集成明治編年史』9(p.432) 明治29.7.19 時事三陸……言語の通ぜざることにて、ツイートする

2006-04-18

■ [方言意識史]電話あっても方言不通 ◎『新聞集成明治編年史』7(p.122) 明治21.8.9 東京日日今回の臨時府会議案中にある警察署出火報知機械買入の事につき、或る人は議して曰らく、報知機械頗る好し、されども其機たる唯一の出火報知にのみ止まりて其他に及…

2006-04-17

■ 北は陸羽西は九州 ◎烏有散人「言語の矯正」『岩手県学事彙報』4,明治18.2.10(小松代融一「東北方言と国語教育」『講座方言学4 北海道・東北の方言』国書刊行会 昭和57.9.30発行 p413による)北は陸羽西は九州等の僻遠なる地方に至りては、其の音節に甚し…

2006-04-16

■ 鹿児島の人も青森の言葉を覚え ◎しまの せいいちらう「かなぶみを みとほりに わくる ろん」明治18.1.20『かなのしるべ』七(山本正秀『発生編』p210)あさに あをもりに あれども くれに かごしまに あるに いたらば かごしまの ひとも あをもりの ことば…

2006-04-15

■ [方言意識史][言文一致]方言交流で自然に言文一致へ ◎『新聞集成明治編年史』7(p.288) 明治22.7.10 東京日日何もあわてて言文一致を願はずとも、言文一致は何年かの後に於て自然と成就すべく、即ち鹿児島人と奥州人と通辞無しにして、悉皆明瞭に微細の意…

2006-04-14

■ [近代語]明治一八年六月三〇日「自由燈」社説、朝寝坊氏「東京語の通用」 (山本正秀氏編『近代文体形成史料集成発生編』 昭和五三年 桜楓社 二二四頁による) 扨(さ)て近頃(ちかごろ)は、假名(かな)の會(くゎい)又(また)は羅馬字會(ろうまじくゎい)などい…

2006-04-13

■ [謡曲共通語][漢語]水原明人『江戸語・東京語・標準語』講談社現代新書 平成6.8.20発行 p56 なぜ、漢語が流行ったのか? まず、当時の武士、知識人の教養の基礎が漢学だったことである。しかも、前にも述べたように、全国の各藩はそれぞれに割拠していて、…

2006-04-12

■ [謡曲共通語]陳舜臣「時代劇の約束ごと」 (『走れ蝸牛』二玄社 平成3.11.30発行 p276 もと全日空機内誌『翼の王国』昭和64.1-平成2.12連載のうち) 幕末、鹿児島の人間が会津へ行ったり、会津の武士が京都へ行ったり、いわば「国際化」が活発になったが、…

2006-04-11

■ [謡曲共通語][言語伝説]尚学図書編『方言の読本』小学館 平成3.8.1. 155頁「謡曲で方言差を克服した話」 明治維新のころはそうではなかった。奥羽地方を転戦する薩長の兵士が、地元の兵士と自由に会話しようとしても、全く通じなかったために、教養として…

2006-04-10

■ [謡曲共通語]対談「ゆっくりした重さと軽い素早さのあいだに」堀田善衞/鶴見俊輔 『ちくま』242号 平成3.5堀田 明治以前の文化というもので、一番バインディングといいますか、というものは、僕もやらされて閉口しちゃったけど、謡曲だと思いますよ。つま…

2006-04-09

■ [謡曲共通語][言語伝説]徳川宗賢「日本語の地域差とその消長」 『ことばの比較文明学』福武書店 平成2.7.17p397戊辰戦争に際して東北に転戦した西日本出身の武士がふだんの言葉を使っては通じないために謡曲の言葉を使ってはじめて意思を疎通したなどとい…

2006-04-08

■ [謡曲共通語]吉沢典男『日本語のしくみ』 (日本少年文庫15)国土社 昭和57.4.25p188 江戸時代にも、そういう例がありました。鹿児島藩(かごしまはん)と、青森藩(あおもりはん)の武士たちが、江戸城(..じょう)で、話しあいをするときは、江戸弁(..べん)と、…

2006-04-07

■ [謡曲共通語]谷沢永一『読書人の園遊』 桜楓社 昭和53.10.20初版発行 171頁「文学全集の今昔」(サンケイ新聞、昭和53.8.30初出) 明治初年の義務教育制は、国民文化を標準化の方向で引きあげる方策であったが、現代文学全集の大量出版は、それを一応の仕…

2006-04-06

■ [謡曲共通語]高田宏「みちのくの鬼」 『銕仙』1978.6『言葉の影法師』(1990.5.29筑摩文庫、元1984.7.25筑摩書房)p197-昔、江戸に出てきた地方武士たちが、互いの言葉があまりにちがうとき、謡曲の文句の「──候」でなんとか言葉を通じ合わせたそうだけれど…

2006-04-05

■ [謡曲共通語]小松左京『日本文化の死角』 講談社現代新書 昭和52.5.20発行 昭和52年11月30日第2刷による P107徳川初期には、江戸へ参勤交代で集ってきた地方武士がお互いあまりに訛りや方言のちがいがはげしくていっこうに話が通ぜず、その前代、室町期に…

2006-04-04

■ [謡曲共通語]中森晶三 中森晶三『能のすすめ』玉川選書 昭和51.6.14 p13Ⅰ能と日本語 日本標準語の原点──謡曲 今日、一億一千万の日本人が共通語を持っている。これは別に文部省の功績でも、NHKのおかげでもありません。実は徳川時代、支配者であり、エ…

2006-04-03

■ [謡曲共通語]司馬遼太郎「王城の護衛者」 初出『別冊文芸春秋』昭和40.9刊 今講談社文庫同名書 昭和46.10.15による。70頁三条家に駈け込んだのは公用人の野村左兵衛であった。かれは容保の立場をるるとのべた。「申すこと、よくわからぬ」 と、実美は当惑…

2006-04-02

■ [謡曲共通語]徳川宗賢「集団とことば」 『講座現代語1現代語の概説』明治書院 昭和38.12.15 江戸末期の方言の分化は想像以上で農村の人たちなどは、異郷に出れば、たがいに話の通じないことがよくあったらしい。薩長の軍勢が奥州を転戦し、土地の人との間…

2006-04-01

■ [謡曲共通語]国語シリーズ36『教科書から見た明治初期の言語・文字の教育』文部省 昭和32.9.20(古田東朔)p40維新当時官軍の人々が、ことばが通じないために「うたい」のことばで互に話し合ったといわれますが、ツイートする