国語史資料の連関

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2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2009-01-31

■ [人名][漢字]「覺えられない字」(志賀直哉・武者小路實篤宛書簡) 赤兒の名は父の考へで壽〻子といふ名にした、壽の字は昔からどうしても覺えられない字だがやつと一つだけ覺えた 志賀直哉全集第12巻ASIN:B000J99JMM一八〇ツイートする

2009-01-30

■ 真字 書き散らし(『紫式部日記』) 清少納言こそ、したり顏にいみじう侍りける人。さばかり賢しだち、眞字書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと堪へぬこと多かり。 ツイートする

2009-01-29

■ なでふ女が真字書は讀む(『紫式部日記』) ふる歌物語の、えもいはず蟲の巣になりにたる、むづかしくはひちれば、開けて見る人も侍らず。片つ方に、文どもわざと置き重ねし、人も侍らずなりにし後、手觸るる人もことになし。それらをつれづれせめてあまり…

2009-01-28

■ [言語生活史]讀み聞かせ(山川均『ある凡人の記録』) 私の少年時代には、子供の読みものは少かったし、(中略)木版時代の本屋が消滅したあとに、田舎ではまだ活版時代の新しい本屋は生れていなかった。それで小学校のころ、私は新聞の広告を見て、博物の書…

2009-01-27

■ [言語生活史]讀み聞かせ(石川三四郎『自叙伝』) 父なども兄にいろいろな本を読ませて聞くことを楽しみにして居り、例えば昔の漢楚軍談とか三国志とか言うものを読ませて居つたのを記憶しています。後には福沢諭吉の『学問のすゝめ』という書物を東京から…

2009-01-26

■ [謡曲共通語]タカクラ・テル むかし,仙臺の侍と鹿兒島の侍とが,江戸のまんなかで出あった。道を聞いたが,さっぱりことばが通じない、やむをえず,謠で用をたした。「いかにものをおたずね申し候。」「おたずねとは何ごとにて候ぞ?」「番町へはいかに參…

2009-01-25

■ [文章作法]一瓢を携へて 大和田建樹『歌まなび』 歌は其人々の程度に応じて、子供は子供らしく、女は女めきてよみいでんこそ、誠の声なるべけれ。おのれ十三四歳の頃ききたる俳句あり。 振袖の力くらべや小松引と。作者は渡辺何がしの妻君なりしが、いかに…

2009-01-24

■ [言語生活史]大鏡・序 おぼしきこといはぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける 橋本四郎「古代の言語生活?」『文体史・言語生活史』ツイートする

2009-01-23

■ 「誹諧」 誹諧と云字、扁旁を取はなして見れば、「ことば皆ことばに非ず」と読るゝ也。 天水抄ツイートする

2009-01-22

■ 「給ふ」と「豆腐」 「たうぶ」といふ詞はたまふと云詞也。『源氏』等に見えたり。『古今』に、「酒たうべける」と有も同じ事也。然るに、ある自見の歌入、清濁くらき故にや、「この「たうふ」とは食物の事にや」と問れし也。 天水抄ツイートする

2009-01-21

■ 「來し」「来た」 あづまびと声こそ北に聞こえけれ みちのくによりこしにやあるらん 金葉集天水抄ツイートする

2009-01-20

■ 木村荘八『新編東京繁昌記』 〈附記〉 従来繁昌記の「昌」はこの字だったのを、昭和二十一年当用漢字の制定以来「昌」の字は制限を受け、「盛」字とすることになり、僕がその「繁盛記」と書く皮切りとなった。さてこの「繁盛」もいつまでつづくか。工《た…

2009-01-19

■ 仙覚の音義説 巻十四「あまのはらふじのしばやま」 富士とは火しげしといふことば也。はひふへほともに火界をむすべる詞なれども、ふといへるは黒色をあらはす詞なれば、けぶりにかたとるべし。しかればふじと云はすなはちけぶりしけしと云詞なり。 山田孝…

2009-01-18

■ 出納 宣長 宣長全集十三巻p615 出(の)字、「いだす」と云時はみな「すい」の音と思ふもあしし、「いだす」の時も、やはり「しゅつ」の音也、「すい」の音に用る事は、まれ/\の事也、「出納」の時は、「すいだふ」の音也、 (原文片仮名。) 土屋信一「「出…

2009-01-17

■ [表記史]江戸時代漢学者の文字教育論(童子通) 山本蕉逸 筆札も、少しは心得べきこと也、篆隷《テンレイ》までは届かずとも、楷行二體は小達者に書き習ふべし、草書は好んで書すべからす、さりながら、人の書きたるものは、有りふれた體ならば、讀めねば…

2009-01-16

■ [表記意識]江戸時代漢学者の文字教育論(授業編) 江村北海 何れにも、書を學ぶには、楷書・小楷・行書を先とす。學業には、此の三つ最入用なり。草書は自家の詩文を人へ贈るには不敬なり。且つ人多く讀み誤るも便宜ならず。されども楷・行に次ぎては、草…

2009-01-15

■ [表記意識]福沢諭吉の文字教育論 小学教育の事 二 (全集第四巻 福沢文集二編巻一) 平仮名と片仮名とを較べて市在民間の日用に孰《いづ》れか普通なりやと尋れば、平仮名なりと答へざるを得ず。男女の手紙に片仮名を用ひず。手形証文受取書に之を用ひず。…

2009-01-14

■ [表記意識]明治時代の楷書教育への反対 文部省第四年報 方今習字の法は楷書を先きとして行書を後にす。是は支那の書家の理論に基く所となるべけれとも甚た実用に適せず。故に小学に入ることに三年にして受取書一つをも書得ること能はず、迂潤なる授業法と…

2009-01-13

■[表記意識]行草から楷書へ(露伴) 幸田露伴「音幻論」> 日本人は平常足利期あたりからずつと徳川期の終りまで行書草書體を公私ともに用ゐたものです。それはその方が筆にし易いからですね。だから被爲在侯などといふやうな今から考へればどうも難かしい字體…

2009-01-12

■ [表記意識][言語教育]江戸時代の楷書(岡本綺堂) 岡本綺堂『風俗江戸物語』河出文庫 p.126 楷書を教えなかった手習師匠 上方《かみがた》では手習《てならい》を教えるところを寺子屋と唱えていましたが、江戸では寺子屋とは言いません。単に手習師匠とい…

2009-01-11

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第九章 結論 以上、余は章を重ぬること八回にして略漢語のわが國語の中に入れるさまを述べたり。なほ仔細に論ずる時は多々いふべきことあらむと思はるれど、こゝに筆を擱かむとす。しかもなほ前數章に述べた…

2009-01-10

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第四章 漢語の特色 漢語がわが國語の中に入るに及びて、その漢語が、その本來の特色をいづこまでも國語のうちに於いて保ちたるか、若くは國語の中に入る際、或は國語に入りて後にそれらの有する特色を多少變…

2009-01-09

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第三章 本來の漢語と認むべきものゝ範圍 本來の漢語とはいふまでもなく、支那本國にて既に成立してありし語をいふなり。それが、或る機會縁故によりてわが國語の中に入りてあるもの、これ即ち吾人の當面の問…

2009-01-08

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第二章 漢語傳來とその國語に入れる状態の史的概觀及び研究の方針 漢語を日本人が知るに至るには、日本人と支那人とが直に相接するか、若くは漢籍を日本人が讀むかの一一の方法によるべきものなるが、そのは…

2009-01-07

■ 山田孝雄『平安朝文法史』第二章「語論」第四節「語構成の大要」二「外来語」 二 外來語 この期に入りて使用せらるゝ外来語はその數甚多く、而、殆、国語化したる趣あり。其の外来語と稱すべきものは殆、悉、漢語なりとす。これは漢文學、及、佛教によりて…

2009-01-06

■ 山田孝雄『奈良朝文法史』第二章「語論」第五節「語構成の大要」二「外来語」 外来語につきては、其の語源的研究をなすにあらずして、我が文法上如何なる地位に立てるかを研究するに止めむ。元来外来語の研究は日本国語の研究上重要なるものなれども、それ…

2009-01-05

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第一章「序説」三「研究の範圍と目的」 三 研究の範圍と目的 漢語が國語の中に存する分量と、漢語が國語の中に侵入せる程度との大樣は上述の如く蹴れば、大體に於いて漢語の状勢は認められたりといふべきに似…

2009-01-04

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第一章「序説」二「外來語としての漢語の位地の概觀」 二 外來語としての漢語の位地の概觀 漢語はもとより本來の國語にあらざるが故に、外來語と稱すべきものなるべし。然るに言海の統計にはその熟語の目を見…

2009-01-03

■ [漢語]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第一章「序説」一「國語の中に於ける漢語の量の概觀」 一 國語の中に於ける漢語の量の概觀わが國語の中に夥しき漢語の混じ用ゐらるることは世人の周く知れる所にして一々例をあぐるまでもなき程の事なるが、…

2009-01-02

■ 山田孝雄『日本文法學概論』第二章「文法學の研究の對象と文法學の部門」 文法學の研究の直接の對象は言語にあり。こは極めて明白なるが如くにして、しかも往々輕視せられ易し。これを輕視する時は往々文法學をして思想の研究の如きさまを呈せしめ或は一種…