2009-01-06
■ 山田孝雄『奈良朝文法史』第二章「語論」第五節「語構成の大要」二「外来語」
外来語につきては、其の語源的研究をなすにあらずして、我が文法上如何なる地位に立てるかを研究するに止めむ。元来外来語の研究は日本国語の研究上重要なるものなれども、それは文法研究の範圍外に捗るものなればなり。
今この期の外来語として明に吾人に識らるゝものは漢語と梵語となり。韓語などは頗多く輸入せられてあらむとは想像せらるれども、今日、直に之なりと指定すること難し。
漢語の勢力の當時大なりしことは當時の公式文はみな漢文なりしに徴しても明なり。されど、其が和歌の内に入れるものは甚多からず。
(中略)
かくて又純粋國語にて綴らむとせる宣命の中にも頗多し、今その二三をあげむ、
(中略)
佛教の傳來につれて梵語の輸入あるべきは自然の勢なり。かくて又和歌中にも侵入せるものを見る。これ亦萬葉集第十六巻にのみみゆ。
(中略)
宣命には頗多し。
(中略)
今これらの外来語の國語法格上の取扱を観察するに主として體言としての待遇をうるにすぎずして後世の如く副詞たる資格をえたるもの一だにあることなし。又動詞に似たる用をなさむが爲に形式動詞「す」の客語たるものも少しく見ゆ。
(中略)
の如きもの即それなるべし。
上の如く用ゐたるうち體言には国語的語感を以てむかへられたるものありと見え、
力士舞 リキシマヒ
女餓魂 メガキ
男餓鬼 ヲガキ
御袈裟 ミケサ
大御含利 オホミザり