国語史資料の連関

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2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2012-04-08

■ [方言意識史]同郷人に対しては忽然として鹿児島弁を用い始める(和辻哲郎「自叙伝の試み」) 地方から来た人で珍らしい印象を与えた点で記憶に残っているのは、まず第一に岩切重雄であった。後に弁論部の委員になって雄弁をふるった程であるから、弁舌はま…

2012-04-07

■ [方言意識史]その東京弁はわたくしの耳に快適に響いた(和辻哲郎「自叙伝の試み」) 原忠義は一高在学中にチブスか何かで亡くなったと記憶しているが、非常に感じのいい男で、特にその東京弁はわたくしの耳に快適に響いた。しかしそれを聞いている間に、ヒ…

2012-04-06

■ [方言意識史]一高の寮に入るまではこういう関東弁の実際の響を全然知らなかった(和辻哲郎「自叙伝の試み」) 東寮一番室で最も耳立つ声を出している三人は、偶然にも同じ信州人であり、従って東寮一番では信州弁が最も顕著に響いていたことになる。多分そ…

2012-04-05

■ [方言意識史][言葉とがめ]読んで知っている東京弁(和辻哲郎「自叙伝の試み」) その頃叔父の所では、従弟の春樹がその四月に中学の二年になったばかりで、あと三人の従妹たちは皆小学生であった。末の広樹という男の子は、もう臨月近くなってはいたが、ま…

2012-04-04

■ [方言意識史]東京弁が村の子にとって非常に珍らしかった(和辻哲郎「自叙伝の試み」) そこでわたくしの心に浮び上っでくる場面は、父の診察室の一隅で、土間の上に板の橋を渡して薬室へ行けるようになっているところである。この橋を渡って薬室の一端を通…

2012-04-03

■ [近代語]東京弁の変化(和辻哲郎「自叙伝の試み」) 従兄の潔は何に刺戟されたのか、わたくしに「江戸ッ児を使って見せようか」と耳打ちして向うのベンチの方へ近づいて行ったのである。そこには下町のおかみさんらしい女の人が、天神への参詣をすませたら…

2012-04-02

■ [方言意識史]琉球の言葉は片言のようでありながら(火野葦平「琉球物語」) 「ウンジュ、ヌマガナー、ハナサピヲ」 サトはそういつて、ころころと笑つた。八重歯と金歯とが白く光つた。「サキ、ヌダイ、ウタ、ウタタイシ、か」 私もそれに応じて笑つた。 …

2012-04-01

■ 文学校仕込みの標準語(火野葦平「琉球物語」) 私と話すときにはサトは文学校仕込みの立派な標準語を諸すが、仲居とは方言の早口なので、珍文漢文《ちんぷんかんぷん》である。 ツイートする