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2012-04-05

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 その頃叔父の所では、従弟の春樹がその四月に中学の二年になったばかりで、あと三人の従妹たちは皆小学生であった。末の広樹という男の子は、もう臨月近くなってはいたが、まだ生れていなかった。それで叔父がみやげに買って来た絵入りのお伽噺の本を、小さい従妹たちが、ソーファの上などで、いろいろと説明してくれた。マックスがどうしたとかハンスがどうしたとかという話であった。そういう話をする従妹たちの言葉は非常にきれいな江戸弁であった。江戸の御家人の娘であった叔母が生きていた間は、京都に住んでいても子供たちの言葉京都弁にはならなかったのである。しかし子供は土地の言葉には染み易いので、母親は絶えず見張っていたように思う。わたくしは数日滞在していた間に、叔母が用箪笥から何かを出しながら、おどけたような調子で、うしろにいる子供たちに次のように言ったことがあるのを覚えている。「ご覧な、哲郎さんはあの通りちゃんとした言葉をお使いになるよ。お前たち、これから変な言葉を使うと、一一ことばとまげ……じゃなかった、ことばと・が・め・だよ」と言って叔母はいかにも磊落に笑ったのである。わたくしはその時どんな風な言葉遣いをしていたかをはっきりとは覚えていないが、しかし多分、叔母や従妹たちのきれいな江戸弁に対して、なるべく調子を合わせるように、つまりこれまで読んで知っている東京弁を使うように、努力していたのであろう。叔母はそういうわたくしの心遣いをいたわってくれたのであろう。

和辻哲郎『自叙伝の試み』「中学生」