国語史資料の連関

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2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

2010-01-31

■ [ここから広がった]【小悪魔】 小さな悪魔 飯田久彦さんの歌う『あの娘は小さな悪魔のようだけど、[…]』この小さな悪魔嬢のこと。 『現代の流行語』 三一書房おまけ 『三枝の爆笑美女対談』(講談社、昭和56年4月5日)の「加賀まり子 さすがの三枝も軽くひと…

2010-01-30

■ [この人が作った]ミリキだわ 『ダイジョウビ』の項*でも述べたが、これも、若水ヤエ子女史の発案か。もちろん『魅力』という字は読み方によって、 『現代の流行語』 三一書房【ミリキ】【みりき】【魅力】ツイートする

2010-01-29

■ [ここから広がった]【だいじょうび】 若水ヤエ子さんの、ニセ東北弁(本人は江戸っ子だ)から出たと思うが、大丈夫よりもユーモアな感じがする。 『現代の流行語』 三一書房ツイートする

2010-01-28

■ [ここから広がった]【パートタイム】 日本では昭和二十九年十月下旬、東京駅八重洲口に開店したD百貨店がはじめて用いた。 荒垣秀雄編『現代用語辞典』ツイートする

2010-01-27

■ [用字]「はっとうしん」と国立国語研究所 一九五三年(中略)「八頭身か?」「八等身か?」で一時大いにもめたが、国立国語研究所では頭と体の比率を現す一種の美術用語として八頭身に軍配をあげた。 荒垣秀雄編『現代用語辞典』【八頭身】【八等身】ツイ…

2010-01-26

■ [この人が作った]【文学散歩】 昭和二十四年、詩人の野田宇太郎氏が読書新聞に「東京文学散歩」を書いたのが始まり、 荒垣秀雄編『現代用語辞典』ツイートする

2010-01-25

■ [ここから広がった]【広場】 昭和二十六年に堀田善衛の「広場の孤独」という小説が出てから、特に一般化した言葉。 荒垣秀雄編『現代用語辞典』ツイートする

2010-01-24

■ [ここから広がった]【コミット】 昭和二十六年後半期の芥川賞作品、堀田善衛の「広場の孤独」の冒頭に、この言葉が出てくるため、「コミットする」が朝鮮動乱後の不安な社会の流行語となった。 荒垣秀雄編『現代用語辞典』ツイートする

2010-01-23

■ [ここから広がった]【最低】 最低 学生語。(中略)朝日新聞に連載された舟橋聖一氏の「白い魔魚」から流行しはじめた。 荒垣秀雄編『現代用語辞典』ツイートする

2010-01-22

■ [語釈][この人が作った]【非日常】 「非日常」という言葉は、六〇年代のアングラ演劇を語る際に使われはじめたものであり、(中略)ただし、この言葉を使ったのは、マックス・ヴェーバーである。(中略)これを「日常/非日常」というふうに変換したのは、…

2010-01-21

■ [語釈]【あるがまま】 「あるがまま」という言葉は、神経症の薬物を用いない治療法として大正年間に森田正馬が創始した森田療法のキーワードである。 小谷野敦『退屈論』河出文庫 p.199ツイートする

2010-01-20

■ [語釈]【シイ】 後ろに四五人の中学生らしいのが、矢張り吾輩とおんなじでコーヒを呑んで居たが、その中の一人が「オイ君シイをくれ」と言って居る。シイってなんのことかと連中を顧れば、たばこのことだ シガレットの略だ、 遞信省校閲・前田義雄『戰時貯…

2010-01-19

■ [語釈]ヤーさま 「うちのねえさんは、兄さんのことをヤーさまかもしれないって言ってたけど、そうじゃないわ」 そうじゃないわねと言うのが普通だろうが、クララは確信ありげに断定した。 「ヤーさまなんて言葉を知ってるのかい」 テキヤのことである。 高…

2010-01-18

■ [方言意識史]東北のスス 私は東北の方言を、いくらか自分の用語に取り入れた。(中略)漫談であったか落語であったか、東北人のシとスの混同を使ったおふざけのセリフがある。天井のススはサススセソのこのスが二つでスス、食べるおススはサススセソのこの…

2010-01-17

■ [この人が作った]朝日新聞「かたえくぼ」 (市川三郎)氏は、「日曜娯楽版」の常連投書家で、のちに『朝日新聞』の「かたえくぼ」の命名者となったジョークの名人であるが、 飯沢匡『武器としての笑い』岩波新書 p.42ツイートする

2010-01-16

■ [文体]演説口調(国木田独歩) 岡本の言葉の未だ終らぬうち近藤は左の如く言つた。それが全《まる》で演説口調。『イヤどうも面白い恋愛談《ラブだん》を聴かされ我等一同感謝の至に堪ません。さりながらです、僕は岡本君の為めに其恋人の死を祝します、祝…

2010-01-15

■ [言文一致]日本の国語がまだ語格までも変る程には変遷してゐないといふ事を指摘したに過ぎなかつた(石川啄木) 新らしい詩の試みが今迄に受けた批評に就て、二つ三つ言つて見たい。「[なり]と[である]若くは[だ]の相違に過ぎない。」と言ふ人があつた。そ…

2010-01-14

■ [語学観]文法といふものは其国語を用ゐる作者と読者との間の約束に過ぎません(石川啄木) 或時などは国文法上の一質問に答へて、「文法といふものは其国語を用ゐる作者と読者との間の約束に過ぎません。文章を錯誤なく書き得る人には覚える必要のないもの…

2010-01-13

■ [国語問題]小説はみんな時代語になつた(石川啄木) B 君はさうすつと歌は永久に滅びないと云ふのか。A おれは永久といふ言葉は嫌ひだ。B 永久でなくても可い。兎に角まだまだ歌は長生《ながいき》すると思ふのか。A 長生はする。昔から人生五十といふが、…

2010-01-12

■ [方言意識史]人の詞を笑嘲ること、口論となるもの(旅行用心集 ) 皆人《みなひと》他国《たこく》へ出れば、物いひ、風俗《 ぞく》いろ〳〵に替《かはり》て、己《おのれ》が国言葉《くにことば》に違《たが》ふ故に、聞馴《きゝなれ》、見なれぬ中《うち…

2010-01-11

■ [語学観]言語学者 思想の鍵を握る者は、言語学者である。 原口統三『二十歳のエチュード』ツイートする

2010-01-10

■ [方言意識史]お祭の例 この気分は一種の相に表はれてくる。お祭の例をとると、京都の神輿かつぎは、「よいな、よいな」とふれるが、大阪は「よいしょ、よいしょ」、東京になると「わっしょ、わっしょ」だ。「ファッショ、ファッショ」と云はないだけが、ま…

2010-01-09

■ [方言意識史](菅茶山・富士川英郎) 薇山過盡播山深 薇山過ぎ尽して 播山深し擧目初成客族心 挙目 初めて 客旅の心を成す行聽路傍兒女語 行 路傍の児女の語るを聴けば婉嬌已異故郷音 婉嬌として 已に故郷の音と異る これは寛政六年の春、茶山が吉野への旅…

2010-01-08

■ [言語作法][表記意識](夏目漱石「明暗」) 彼の父は洋筆や万年筆でだらしなく綴られた言文一致の手紙などを、自分の伜から受け取る事は平生からあまり喜こんでいなかった。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card782.htmlツイートする

2010-01-07

■ [待遇表現]森鴎外 賎しむべきものに対しても使ふ敬語 私の「お帰なさい」と書いたのは、ノラの夫がクログスタツトを尊敬して言ふ敬語ではない。ノラの夫が自ら尊敬して言ふ敬語である。日本語には自家の紳士的地位のために、賎しむべきものに対しても使ふ…

2010-01-06

■ 村雨退二郎「君と僕」 君と僕 いつか某紙の演芸欄に、著名な演劇批評家が、新作時代劇の批評を書いていた。その中で、幕末の志士同士の会話に、「君、僕」を連発させているのは、たいへんに耳ざわりだ、もっとその時代らしい言葉を使わせたらどうだ、とい…

2010-01-05

■ [漢語]「東京にいる田舎者のこしらえた言葉だ」(永井荷風「十日の菊」) 「[...]電車の中で小説を読んでいるような女の話を聞いて見たまえ。まず十中の九は田舎者だよ。」 「僕は近頃東京の言葉はだんだん時勢に適しなくなっで来るような心持がするんだ。…

2010-01-04

■ [漢語]「当世人の言語一として新聞記者の口吻に似ざるはなし」(永井荷風「桑中喜語」) 人おのおの好むところあり。下戸あり。上戸あり。上戸の中更に泣くものあり笑ふものあり怒るものあり。然れども下戸上戸おしなべて好むところのものまたなきにあらず…

2010-01-03

■ [国字問題]「漢字節減なぞ称ふる人あれどそれは小説家には当てはまらず」(永井荷風「小説作法」) 一 東京市中自動車の往復頻繁となりて街路を歩むにかへつて高足駄の必要を生じたり。古きものなほ捨つべきの時にあらず。日本現代の西洋摸倣も日本語の使…

2010-01-02

■ [文体]「『鶉衣』に収拾せられた也有の文」(永井荷風「雨瀟瀟」) 二葉亭四迷出でて以来殆ど現代小説の定形の如くなった言文一致体の修辞法は七五調をなした汀戸風詞曲の述作には害をなすものと思ったからである。このであるという文体についてはわたしは…