2010-01-02
■ [文体]「『鶉衣』に収拾せられた也有の文」(永井荷風「雨瀟瀟」)
二葉亭四迷出でて以来殆ど現代小説の定形の如くなった言文一致体の修辞法は七五調をなした汀戸風詞曲の述作には害をなすものと思ったからである。このであるという文体についてはわたしは今日猶古人の文を読み返した後など殊に不快の感を禁じ得ないノデアル。わたしはどうかしてこの野卑蕪雑なデアルの文体を排棄しようと思ひながら多年の陋習遂に改むるによしなく空しく紅葉一葉の如き文才なきを歎じている次第であるノデアル。わたしはその時新曲の執筆に際して竹婦人が玉菊追善水調子「ちぎれ〳〵の雲見れば」或は又蘭洲追善浮瀬の「傘持つほどはなけれども三ツ四ツ濡るゝ」といふやうな凄艶なる章句に富んだものを書きたいと冀った。既にその前年一度医者より病の不治なる事を告げられてからわたしは唯自分だけの心やりとして死ぬまでにどうかして小説は西鶴美文は也有に似たものを一二篇なりと書いて見たいと思ってゐたのである。
鶉衣に収拾せられた也有の文は既に蜀山人の嘆賞措かざりし処今更後人の推賞を俟つに及ばぬものであるが、わたしは反復朗読する毎に案を拍って此文こそ日本の文明滅びざるかぎり日本の言語に漢字の用あるかぎり千年の後と雖も必ず日本文の模範となるべきものとなすのである。其の故は何かというに鶉衣の思想文章ほど複雑にして蘊蓄深く典故によるもの多きはない。其れにも係らず読過其調の清明流暢なる実にわが古今の文学中その類例を見ざるもの。和漢古典のあらゆる文辞は鶉衣を織成す緯となり元禄以後の俗体はその経をなしこれを彩るに也有一家の文藻と独自の奇才とを以てす。渾成完璧の語こゝに至るを得て始て許さるべきものであらう。