国語史資料の連関

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2010-01-13

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B 君はさうすつと歌は永久に滅びないと云ふのか。

A おれは永久といふ言葉は嫌ひだ。

B 永久でなくても可い。兎に角まだまだ歌は長生《ながいき》すると思ふのか。

A 長生はする。昔から人生五十といふが、それでも八十位まで生きる人は沢山《たくさん》ある。それと同じ程度の長生はする。しかし死ぬ。

B 何日になつたら八十になるだらう。

A 日本国語が統一される時さ。

B もう大分統一されかかつてゐるぜ。小説はみんな時代語になつた。小学校教科書と詩も半分はなつて来た。新聞にだつて三分の一は時代語で書いてある。先を越してローマ字を使ふ人さへある。

A それだけ混乱してゐたら沢山ぢやないか。

B うむ。さうすつとまだまだか。

A まだまだ。日本は今三分の一まで来たところだよ。何もかも三分の一だ。所謂《いはゆる》古い言葉と今の口語と比べて見ても解る。正確に違つて来たのは、「なり」「なりけり」と「だ」「である」だけだ。それもまだまだ文章の上では併用されてゐる。音文字《おんもじ》が採用されて、それで現すに不便な言葉がみんな淘汰《たうた》される時が来なくちや歌は死なない。

B 気長い事を言ふなあ。君は元来|性急《せつかち》な男だつたがなあ。

A あまり性急だつたお蔭で気長になつたのだ。

B 悟つたね。

A 絶望したのだ。

B しかし兎に角今.の我々の言葉が五とか七とかいふ調子を失つてるのは事実ぢやないか。

A「いかにさびしき夜なるぞや。」「なんてさびしい晩だらう。」どつちも七五調ぢやないか。

B それは極めて稀な例だ。

A 昔の人は五七調七五調でばかり物を言つてゐたと思ふのか。莫迦《ばか》。

B これでも賢いぜ。

A とはいふものの、五と七がだんだん乱れて来てるのは事実だね。五が六に延び、七が八に延びてゐる。そんならそれで歌にも字あまりを使へば済むことだ。自分が今迄勝手に古い言葉を使つて来てゐて、今になつて不便だもないぢやないか。成るべく現代の言葉に近い言葉を使つて、それで三十一字に纏《まとま》りかねたら字あまりにするさ。それで出来なけれあ言葉や形が古いんでなくつて頭が古いんだ。

石川啄木「一利己主義者と友人との対話」

言及

土岐善麿「短歌と国語」土岐善麿『歌・ことば』