2010-01-09 2010-01-09 ■ [方言意識史](菅茶山・富士川英郎) 薇山過盡播山深 薇山過ぎ尽して 播山深し擧目初成客族心 挙目 初めて 客旅の心を成す行聽路傍兒女語 行 路傍の児女の語るを聴けば婉嬌已異故郷音 婉嬌として 已に故郷の音と異る これは寛政六年の春、茶山が吉野への旅に出かけ、備前をすぎて播磨に入った頃に作った詩である。薇山は黄薇(備前、備中、備後)の山のことであるが、そこをすぎて播磨国にさしかかり、路傍で出あう児女の言葉が、中国地方の悠長で、まのびのしたような方言と違って、既に関西弁の艶になまめかしい調子をまじえているのを聞いては、さすがに異郷に来たという感慨を新たにしたのだろう。 富士川英郎『江戸後期の詩人たち』筑摩叢書p.39ツイートする