国語史資料の連関

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2009-01-11

[]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第九章 結論 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第九章 結論 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第九章 結論 - 国語史資料の連関 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第九章 結論 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 以上、余は章を重ぬること八回にして略漢語のわが國語の中に入れるさまを述べたり。なほ仔細に論ずる時は多々いふべきことあらむと思はるれど、こゝに筆を擱かむとす。しかもなほ前數章に述べたる所を回顧して一言する所あらむとす。

 抑も外國語の輸入若くは借用といふことは世界いづれ國語に於いても、その國民が、他の民族或は國民と交際し、他の國語に接觸する場合には互に他の國語の幾分を或は輸入し、或は借用せざるもの無しと云ひても可なる程のさまを呈するものなり。しかも、それが偶然の接觸にあらずして、特別に交を結ぶ場合に於いては外來語の輸入は自然に起らざるを得ざるものなり。況して、その國の文化を輸入せむとし、その國の言語を意識的に採用すといふ場合には外來語はまさにその國に汎濫するに至るべし。かゝる際に、自國語といふものを顧みずして外來語に心醉沒頭せば、その國語は或は破壞せられ、或は滅亡し果つる虞なしとせず。世界のうちにはその國語が既に滅び他國の語を用ゐてある民族も無しといふべからず。

 漢語のわが國語の中に入れることは量に於いても質に於いても實に甚しといふべし。量に於いてはその約半分に達し、若しこれを名詞に限りて見れば、現代の普通語に於いては漢語の方が固有の國語よりも量遙かに多しといふ現象を見ることは既に明かにしたる所なり。されば、現代の國語に於いて若し漢語を除き去る時には日常の挨拶、公私一切の思想交換が殆ど不可能となるといふべき状態に陷るならむと思はるゝなり。

 漢語の勢力はその量の上のみならずして、わが國語の質の上にも多大の影響を及ぼして、種々の現象を國語の上に呈せるを見る。それには

 本邦にてつくれる漢語  師ち本邦にて本來の漢語に基づきて作れる語又は漢字音讀にして造れる語を生じたること、

 和漢雜糅の語  所謂湯桶讀?の語、重箱讀?の語、音訓複讀の語を生じたること、

をはじめとし音韻としては

 音便の生じたること、

 ラ行音濁音を以てはじめたる語の生じたること、

 促音、撥ぬる音、拗音の生じたること、

の如き變動を國語に與へ、その他、語法の上にも多少の變動を生じたるは既に述べたり。

 以上、述べたる外なほ重大なる影響をば漢語國語の上に與へたるを見る。それは現今わが國に日常用ゐる漢語漢字によらざれば、具體的に客觀的に之を明確にあらはすこと能はざるさまを呈せるこれなり。たとへば

  軍旗と軍紀と軍機と軍規と軍記

の如き、

  議院と議員と

の如き、

  私學と視學と

の如き、

  史學と詩學と

の如き、

  科學と化學と

の如き、

  債劵と債權と

の如き、

  夫人と婦人と

の如きはその語の用ゐる所屡同時に起るべくして、之を發音のまゝ、又假名を正しく書きても之を區別し得べきにあらねば、必ず漢字に書きてはじめてその差別の認めらるべきものなりとす。かくの如き語を用ゐてある間は漢字を排斥することは思ひもよらざる所なりとす。之を改革せむとするものはこれが對策として萬全の途を講ずべきものにして、かくの如き現状を顧みず、遽かに之を改革せむとするが如きことあらば國語をして一層の混亂に陷らしむべきものなりとす。

 さても漢語がかゝる勢力を得たるは一朝一夕の故にあらずして、漢籍がわが國に公然學習せられてより千五六百年來の歴史の結果なりといはざるべからざるなり。かくて、その慣用の久しきにつれて、多くの漢語國語化して年久しくなり國民が無意識に漢語又は外來語などといふ考もなくして用ゐてあるもの少からざるなり。されどもそのはじめはなほ明かに外來語としての意識の下に使用せられたりし時代もありしならむ。かく外國渡來の語をば意識的にそれを使用する時代にありては動もすれば、外國語心醉若くは外國語崇拜の弊を起し易きものなり。かゝる事は外國語を盛んに採用する際に往々生じ易き弊にして平安朝時代にもこの弊見え、又徳川時代にも多少その弊ありしことは既にいへり。かくしてその弊は明治年間に至りて頗る著しくあらはれ、今にその餘焔消えざるなり。

 外來語の濫用といひ、外國語崇拜といふことは害のみありて少しも益の無き事なるが、それは外來語輸入に伴ひて起りたる弊なり。凡そ物には利と弊と相伴ふものなり。利の少く弊の多きものはもとより排斥すべきことなるが、利相當に大なる場合には弊は多少ありても往々止むを得ざることあるものにして、それに對しては注意してその弊に陷らぬやうにせざるべからざること勿論なり。しかしながら多少の弊伴ふとてその利の多きものをすつるは正當なる方法といふべからず。わが國語は從來最も多く輸入したる漢語によりて國語の純正を害せられたること少からぬことを余は研究の結果之を認むるものなり。されど、今遽かに排斥せむとしてそれをなしおふせ得るものにあらざれば、今日に於いてわれらのなすべきことはわれらの祖先がそれらを輸入同化するに努力したることを諒として、今後の覺悟を樹立しおかざるべからず。

 わが國語はその十分四若くはそれ以上の漢語を包容してあり。然らば、わが國語は半ば漢語化してありやといふに決して然らず、こゝにこの漢語に對して國語が如何なる關係にあり、如何なる態度をとりつゝあるかを考へて見るを要す。余はこの點に考へ及ぶ時、國語の寛大さと國語同化力と國語の嚴肅さとを認めざるを得ざると共に今更ながら國語の偉大なる力を有することに敬意を表せざるを得ざるなり。

 わが國民性は守るべき所につきては嚴肅に之を固く守るものなるが、その他の點については頗る寛大にして、場合によりては殆ど統制無きかの如くに見ゆる場合あり。この寛大さは現在の外來語の待遇に對しても見る所にして古來漢語に對してのことは既に述べたる所にて明かなる所なり。されど、今念の爲にその大綱をあぐれば名詞の如きは殆ど無制限に之を採用し、それらの爲に先に例をあげたる如く、日常の談話などには觀念語は殆どすべて漢語のみといふ如き極端なるさまに至れるあり。この漢語採用の寛大さが一般人には往々無制限に流れ、或は漢語心醉の弊をも惹き起さしめ易きものなれども、國語歴史大觀すれば、いつもその弊は矯められて大本は動かぬものなり。即ちわが國語は一般に外來語を吸收することによりて枝葉の點に於いては頗る變轉したれども、その根柢たる國語本質はかはりたることなし。かくしてわが國語語彙は結局豐富になれりといはざるべからず。

 以上の如く國語漢語の輸入同化によりて語彙を頗る豐富にしたるが、その根柢たる國語本質は少しもそれらの爲に動かされたるものにあらず。かくの如く多大なる外來語を包容しつゝその本質を毫もかへざる國語といふものはその外來語同化する力の偉大なることを告ぐるものといはざるべからず。しかしながら、外來語をかくの如く多量に包容して如何にしてその本質を失ふこと無く、よくそれらを同化しうべきなるか。こゝにわが國語の嚴肅さの存するを見る。わが國語外來語に對しては頗る寛容にして無制限にその流入を許せる如くなれど、又嚴肅なる境界線の立てらるるありて、その線内には一歩外來語の窺窬することを許さざるなり。その境界線は既に示せるものなれど、念の爲に再び之をあぐれば次の如し。

 名詞  數詞  状態の副詞

右の三種に於いて漢語が汎濫せりといふべく、これらは外來語流入の自由區域といひうる程に寛大なり。

 代名詞  は過去に於いて漢語の頗る跋扈せしものなるが現今の口語にては「僕」一語のみ。

 以上は外來語がその形のまゝに入らむとすれば入り得る範圍なり。この外の區域が外來語のそのまゝの形にては入ることを許さざるなり。

 形容詞  動詞  すべて用言には外來語そのまゝの形を用ゐたる例なし。但し外來語語幹として用言の形に活用せしめたる例はあり。又サ行三段の語が外來語を伴ひて動詞として活動せしむること古來より行はれたるが現代は殊にその例多し。

 以上、用言には外來語の歸化して入ることは許せり。されど、それは形質共に國語化したるにあらざれば決して入れざるものにしてこの規律は嚴重に守られてあるなり。

 接續の副詞(また、或はの類)

 感動の副詞(あゝ、おゝ、いざの類)

 助詞(人がの「が」花はの「は」の類)

以上は外來語の侵入を斷じて許さぬ區域にして、古來未だ曾て外來語の窺窬を許したること無し。かくの如く國語に於いて、文法上、語の種類によりて外來語を寛大に見る區域と一歩も入れぬ區域と、國語の形に同化する時にはじめて入るゝ區域との三樣ありて、これらの事は古來嚴密に守られ來たり。余はこの外來語の窺窬を許さぬ區域をば比喩を以て國語の要塞なりと云ひたる事もありしがそれらの區域を示す境界線は近時の流行語にいふ生命線といふことばにあたるならむ。

 なほ上述の如くに、名詞外來語の侵入の自由を許せるかの如くに見ゆることを熟考するに、これも決して國語の法格に觸るゝことを許せるものにあらぬことを認む。わが國語名詞文法上の性、數、格といふものを具有せぬものにして、いはゞ裸體的の概念語にして、それが文法的に活動するは主として助詞の力によるものなり。それ故に、さる區域に外來語の入り來れりとも、その外來語が、その本國語文法的性格を主張せずして裸體的の概念語としておとなしく、わが名詞と同じ取扱を受けて、わが助詞にて操縱せらるゝまゝになる時にこれを許すなり。それ故にさやうなる外來語の如何に多く入り來たりとも觀念内容のふゆることはあれど、國語の法格には何等の影響を及ぼさぬなり。情態の副詞も略同樣なる上に、これは一層輕きものにしてしかもその範圍は自然に限られたり。さればこれも國語の性質上、かやうなる事を許したりとも差支なしといふ根柢のありての事にして漫然として許せるものにあらざるは明かなり。要するにこれ亦國語の要塞地帶には一歩も觸るゝことを許さずといふ嚴肅さを基としての寛大さなりとす。しかしながら、余はかく考へたりとも濫りに外來語の侵入するを是認するものにあらざるなり。

 要するにわが國語外來語に寛大にありうるはこの要塞地帶が確實に保持せらるゝ故にして、その要塞地帶内の部分が國語の精神のやどる所、國語の生命の源なり。それ故にこの精神が確立し、この生命が活力に充ち滿ちてある故によくかの多大の名詞副詞などを自由に操縱し得、又外來語をば用言とする時に必ず國語化せしめずば承認せずといふ態度が、よく外來語を消化して國語とする力をあらはしてあるものといはざるべからず。さればかの寛大さは同化しうる自信の存するにより、その同化しうる力の源はこの要塞地帶より起るものなるときに、かく要塞地帶を設けて、國語の生命を維持して一歩も許さぬ國語の嚴肅さは國民の深く肝に銘じておくべき所なり。

 以上は外來語一般に對しての國語の態度なるが、この態度は漢語に對しても嚴肅に確實に守られてあらざるべからざるものなりとす。