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2009-01-09

[]山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第三章  本來の漢語と認むべきものゝ範圍 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第三章  本來の漢語と認むべきものゝ範圍 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第三章  本來の漢語と認むべきものゝ範圍 - 国語史資料の連関 山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』第三章  本來の漢語と認むべきものゝ範圍 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 本來の漢語とはいふまでもなく、支那本國にて既に成立してありし語をいふなり。それが、或る機會縁故によりてわが國語の中に入りてあるもの、これ即ち吾人の當面の問題とする所のものなり。かくの如く説く時は事甚だ簡單なるが如しといへども、しかも、しか容易に決し去るを得ざる場合あり。その事を少しく次にいはむ。

 第一に漢語はもとより支那の語たること明らかなれば、支那語即ち漢語といひて可なりやといふ問題起る。然るに、この支那語といふことは支那國に行はるゝ語たるに相違なけれど、支那國に行はるゝ語はすべて支那語なりといふこと能はざるなり。現に支那の領域に行はるゝ語は所謂支那語の外

  蒙古語西藏語土耳古語(南方には苗族?の語あり)

等の行はるゝは誰人も知る所なれど、それらは支那語にはあらざるなり。即ちこれは支那本部に住する民族の語たるものなりとす。然らばその限定せられたる意味支那語即ち漢語といひて可なりやといふに必ずしも然らざるなり。わが國にて今漢語といへるものは昔より存する名稱にしてもと支那語意義たりしものなるは疑なしといへども、今日の支那語は現に漢語とは名づけられざるのみならず、實際われらの漢語とさすものと今日の支那語とは全く同一のものにあらず。即ち今日に於いては漢語支那語とはその意義の上に差異あるものなり。然らば漢語とは如何なるものか。先づ漢語といふ語が、日本製なりやと見るに、然らずして支那にて古くより用ゐし語なり。ユ信(南北朝?の時北朝周の人)の「奉和法筵應詔詩」に

  佛影胡人記、經文漢語翻。

とあり。これは佛經漢語飜譯したりといふなり。次に白樂天の新樂府「縛戎人」に

      ク  むスルヲ

  游騎不v聽能漢語ハ將軍途縛作瓠蕃生咽

  自v古此寃應ン未vレ有、漢心漢語吐蕃身。

とあり。これは吐蕃人に捕へられたる漢人が本の國語たる語を吐蕃語に對していへるなり。下りて元史、世租紀に

  丙午河南輻建行中書省臣請v詔v用昌漢語網 有v旨、以昌蒙古語一諭昌河南一漢語論昌輻建明

とあり。これは蒙古語に對していへるなり。これらによれば、古より近世まで漢語といふ語をば支那にて用ゐしを見るべく、この用例を見れば、胡語、吐蕃語蒙古語等に對して漢語といひしこと著し。按ずるに「漢」といふはもと前漢の高租が建てたる國の名にしてそれが基となり、支那本國の勢力が外國に及びし時、その本國の意に用ゐしより魏晋以來專ら四圍の國々に對して支那本部をさす名目となりたるものと見ゆ。かくして、

  漢人  漢字  漢語  漢文  漢詩

などみなこの意を示せるなり。されば漢語といふはもとこれ支那本土の語といふことなり。然らば、今の支那本土の語をも漢語といふべきかといふに、今の支那語漢語とはいはぬことは既にいひたる所なり。さればこれは古代支那本部の語をさせるものといふべきならむ。而して吾人の研究すべき所はそのうちわが國語に入りしもの及び、わが國語に影響を與へしものなるべきことはいふをまたず。

 上の如く一往考定してさて考ふべきは、言海唐音語としてあげたる九十六語一類の語なり。これは

  アンザイ(行在)  アンズ(杏子)  イス(椅子)  ウロン(胡亂)  カンキン(看經)

  シツボク(卓袱)  ソロバン(算盤) チン(亭)   トン(榻)    ピン(瓶)

  フシン(普請)   フトン(蒲團)  リン(鈴)   ロウハ(緑礬)

等の語にして、これらも亦支那語より來れるものなることは一般に信ぜらるゝ所なり。然るに、これを唐音語名づけ漢語と區別せるは何故なるかと考ふるに、これらの説明を見るに或はその字の唐音なりといひ、

  看經  甲板  磬  卓袱  石友

或は宋音なりといひ、

  行在  行燈  杏子  椅子  普請

或は又廣東音なりといへる如く

  胡亂  胡盞  臘乾

その音が、普通にいふ所の字音郎ち漢音呉音と異なるが爲にかく唱へられたるものなるべし。然りとせばこれ亦一往のいはれなきにあらずといふべきが、今吾人はこれを如何に取扱ふべきか。即ちこれを言海の如く漢語と全く別の外來語とすべきか如何。これらはその起源は漢語に同じくその借用の程度も亦漢語に大差なきものにして、これを特に別に立つる程の差別ありとは認められず。たゞそれが、わが國に入りし時代が、所謂漢語より稍新しく、即ち宋元明時代にしてその音のさまもまた漢音呉音と稍異なれば、それらの間に區別をなすことも一往の理なきにあらずといへども、一を歸化語とし、一を外來語とする程の差は存せずと思はる。たとへば、「普請」の如きも、その本來の意義は忘られて土木建築の意に用ゐらるゝに至れるが、それも頗る古きことにして、徳川幕府の制度に「小普請組」「普請奉行」といへるが如く、明かに歸化語の域に達したるものも存す。されば多少の差異は認めつゝも、なほこれを漢語の一類に收めて説くべきものとす。

 以上の如く、吾人の漢語と認むるものは主として漢音呉音を以てよばるゝ語をさすものといふべく、又唐音宋音などを以てよばるゝ語をも含めていふべきものなることをこゝに認めたり。然らば、本來の漢語としてわれらの論ずるものゝ範圍はこれに止まるかといふに、必ずしも然らず。たとへば、

  雙六(スゴロク) 鍾(チヨク) 錢(ゼニ)

の如きは今の漢音呉音その他の音を以て律すべからざるものなり。しかもこれらも亦漢語たること明かなれば、これを今の問題の外におくべからざるなり。

 かくの如く論じ來れば、こゝに説かんとする本來の漢語の範圍は略これを認めるベきに似たり。然るに、こゝにたとへば、

  蘇枋(馬來語)  葡萄(希臘語)()

  牡丹(希臘語)   密陀僧(沒多僧とも書く、波斯語)

の如く一見漢語と認めらるゝが如くにして實は古代支那に於ける外來語にして、その當時支那にてこれを音譯したるものたるなり。これらは如何に取扱ふべきかといふに、それらの本國語の轉々してわが國に入れるものといふべきものにして嚴密にいへば、漢語として取扱ふは理に合せざるものなり。されど、それらは古代漢語として取扱はれ入り來れるものなるべく、又數に於いて多からざるを以て姑く漢語の研究に於いて附載の意にて取扱ふことをすべし。次に又佛教上の語として梵語その他の語を支那にて音譯又は義譯したるもの多くして、それがわが國に入れるもの甚だ多し。その音譯のものとは

  佛陀  佛  ホトケ 袈裟  率都婆  塔婆  塔  醍醐  和街  檀那  鉢

の如きものにして佛、菩薩、天部、夜叉等の名に多し。これらも、上の蘇枋、葡萄等に準ずれば、漢語の研究に於いて附載の意にて取扱ふこと必ずしも不可にあらざる如しといへども、其の數比較的に多ければ(言海梵語一二〇とあげしものこれなり)今はこれを別にすべし。次に義譯の語とは、

  經  律  論  神通力  衆生  三寶  加持  利生

などその例甚だ多し。これらはその基づく所は梵語等なるべけれども、曁それらの經文を漢語漢文として譯出して後用ゐられたるものなれば、われらの研究の範圍には當然入るべきものとす。而してこれら佛書に用ゐたる漢語のわれらの日常語に入れる程度は頗る高きものなり。その一二例をいはゞ次の如し。

  世間 觀念 慈悲 内證 我慢 隨一 信仰 惡口 精進 邪魔 彼岸

  境界  正念 方便  究竟  往生  殺生 油斷  自業自得 意馬心猿

次には漢語に基づくならむと一般に推測せらるれども、未だ一定の證明若くは然るべき假定説をも得ざるものあり。たとへば

  あいそをつかす

  ごみがたまる

  たあいない

などの「あいそ」「ごみ」「たあい」の如きこれなり。これらはこれを以て純なる國語なりとは認め難く、その姿よりいへば、漢語なるが如く見ゆれども、さりとてこれを漢語なりと斷言することは今日の學問の程度に於いては躇躊せざるべからざるものなり。かくの如きものまた少からず。今これらのものは姑くこれをこの研究の範圍外におきて後の研究をまつべきものとす。