2009-01-28
■ [言語生活史]讀み聞かせ(山川均『ある凡人の記録』)
私の少年時代には、子供の読みものは少かったし、(中略)木版時代の本屋が消滅したあとに、田舎ではまだ活版時代の新しい本屋は生れていなかった。それで小学校のころ、私は新聞の広告を見て、博物の書物がほしくなり、わざわざ東京の冨山房(?)から取りよせたこともあった。なにか特別の家でもないかぎり、どこの家庭にも蔵書というほどのものはなく、私のところでも『論語』や『孟子』『唐詩選』とか『日本外史』といったたぐいのものがいくらかあったにすぎなかった。懇意な家に『八犬伝』があったので、一と冬『八犬伝』を借りて来て、毎晩、父がおもしろく読んでくれるのを、母は針仕事を、姉は編物をしながら、家内じゅうで聞いたことがあった。ところが一二年すると、久しぶりにまた『八犬伝』でもというので、また借りて来ておさらえをするというありさまだった。
(『山川均自伝』)