国語史資料の連関

国語史グループにあったブログ

2006-01-01から1年間の記事一覧

2006-04-16

■ 鹿児島の人も青森の言葉を覚え ◎しまの せいいちらう「かなぶみを みとほりに わくる ろん」明治18.1.20『かなのしるべ』七(山本正秀『発生編』p210)あさに あをもりに あれども くれに かごしまに あるに いたらば かごしまの ひとも あをもりの ことば…

2006-04-15

■ [方言意識史][言文一致]方言交流で自然に言文一致へ ◎『新聞集成明治編年史』7(p.288) 明治22.7.10 東京日日何もあわてて言文一致を願はずとも、言文一致は何年かの後に於て自然と成就すべく、即ち鹿児島人と奥州人と通辞無しにして、悉皆明瞭に微細の意…

2006-04-14

■ [近代語]明治一八年六月三〇日「自由燈」社説、朝寝坊氏「東京語の通用」 (山本正秀氏編『近代文体形成史料集成発生編』 昭和五三年 桜楓社 二二四頁による) 扨(さ)て近頃(ちかごろ)は、假名(かな)の會(くゎい)又(また)は羅馬字會(ろうまじくゎい)などい…

2006-04-13

■ [謡曲共通語][漢語]水原明人『江戸語・東京語・標準語』講談社現代新書 平成6.8.20発行 p56 なぜ、漢語が流行ったのか? まず、当時の武士、知識人の教養の基礎が漢学だったことである。しかも、前にも述べたように、全国の各藩はそれぞれに割拠していて、…

2006-04-12

■ [謡曲共通語]陳舜臣「時代劇の約束ごと」 (『走れ蝸牛』二玄社 平成3.11.30発行 p276 もと全日空機内誌『翼の王国』昭和64.1-平成2.12連載のうち) 幕末、鹿児島の人間が会津へ行ったり、会津の武士が京都へ行ったり、いわば「国際化」が活発になったが、…

2006-04-11

■ [謡曲共通語][言語伝説]尚学図書編『方言の読本』小学館 平成3.8.1. 155頁「謡曲で方言差を克服した話」 明治維新のころはそうではなかった。奥羽地方を転戦する薩長の兵士が、地元の兵士と自由に会話しようとしても、全く通じなかったために、教養として…

2006-04-10

■ [謡曲共通語]対談「ゆっくりした重さと軽い素早さのあいだに」堀田善衞/鶴見俊輔 『ちくま』242号 平成3.5堀田 明治以前の文化というもので、一番バインディングといいますか、というものは、僕もやらされて閉口しちゃったけど、謡曲だと思いますよ。つま…

2006-04-09

■ [謡曲共通語][言語伝説]徳川宗賢「日本語の地域差とその消長」 『ことばの比較文明学』福武書店 平成2.7.17p397戊辰戦争に際して東北に転戦した西日本出身の武士がふだんの言葉を使っては通じないために謡曲の言葉を使ってはじめて意思を疎通したなどとい…

2006-04-08

■ [謡曲共通語]吉沢典男『日本語のしくみ』 (日本少年文庫15)国土社 昭和57.4.25p188 江戸時代にも、そういう例がありました。鹿児島藩(かごしまはん)と、青森藩(あおもりはん)の武士たちが、江戸城(..じょう)で、話しあいをするときは、江戸弁(..べん)と、…

2006-04-07

■ [謡曲共通語]谷沢永一『読書人の園遊』 桜楓社 昭和53.10.20初版発行 171頁「文学全集の今昔」(サンケイ新聞、昭和53.8.30初出) 明治初年の義務教育制は、国民文化を標準化の方向で引きあげる方策であったが、現代文学全集の大量出版は、それを一応の仕…

2006-04-06

■ [謡曲共通語]高田宏「みちのくの鬼」 『銕仙』1978.6『言葉の影法師』(1990.5.29筑摩文庫、元1984.7.25筑摩書房)p197-昔、江戸に出てきた地方武士たちが、互いの言葉があまりにちがうとき、謡曲の文句の「──候」でなんとか言葉を通じ合わせたそうだけれど…

2006-04-05

■ [謡曲共通語]小松左京『日本文化の死角』 講談社現代新書 昭和52.5.20発行 昭和52年11月30日第2刷による P107徳川初期には、江戸へ参勤交代で集ってきた地方武士がお互いあまりに訛りや方言のちがいがはげしくていっこうに話が通ぜず、その前代、室町期に…

2006-04-04

■ [謡曲共通語]中森晶三 中森晶三『能のすすめ』玉川選書 昭和51.6.14 p13Ⅰ能と日本語 日本標準語の原点──謡曲 今日、一億一千万の日本人が共通語を持っている。これは別に文部省の功績でも、NHKのおかげでもありません。実は徳川時代、支配者であり、エ…

2006-04-03

■ [謡曲共通語]司馬遼太郎「王城の護衛者」 初出『別冊文芸春秋』昭和40.9刊 今講談社文庫同名書 昭和46.10.15による。70頁三条家に駈け込んだのは公用人の野村左兵衛であった。かれは容保の立場をるるとのべた。「申すこと、よくわからぬ」 と、実美は当惑…

2006-04-02

■ [謡曲共通語]徳川宗賢「集団とことば」 『講座現代語1現代語の概説』明治書院 昭和38.12.15 江戸末期の方言の分化は想像以上で農村の人たちなどは、異郷に出れば、たがいに話の通じないことがよくあったらしい。薩長の軍勢が奥州を転戦し、土地の人との間…

2006-04-01

■ [謡曲共通語]国語シリーズ36『教科書から見た明治初期の言語・文字の教育』文部省 昭和32.9.20(古田東朔)p40維新当時官軍の人々が、ことばが通じないために「うたい」のことばで互に話し合ったといわれますが、ツイートする

2006-03-31

■ [謡曲共通語]安藤正次「奥羽の言葉について」 『安藤正次著作集3国語学論考Ⅲ』p267(もと『国語教育』4-5 大正8.5) 東北地方の人士が、その言葉について自覚する所があり、その矯正について苦心するのは、今日にはじまった事では無い。伝ふる所によれば…

2006-03-30

■ [謡曲共通語]三宅武郎「方言と標準語」 p57安藤正次編『国語の概説』昭和27年4月5日発行大正八年、東北方言調査のため、安藤(正次)先生が文部省から山形の上の山へ出張されたことがある。そのとき、土地の故老が面白い話を先生に聞かせてくれた。それは…

2006-03-29

■ [謡曲共通語]藤原與一『私たちの国語』 筑摩書房 中学生全集17 昭和25年11月25日 123頁 むかしの話ですが、こんなことがあったそうです。九州の方の人と、東北の方の人とが、江戸(今の東京)で出あうと、さっぱり話が通じません。そこで、両方が、うたい…

2006-03-28

■ [謡曲共通語]石黒修『日本の国語』 増進堂 少国民選書 昭和18年6月20日 120頁 昔、仙台の人と鹿児島の人とが出会って話をする時に、どうしても通じないために、謡(うたひ)をうたって、それで話をしたといふ話もあります。ツイートする

2006-03-27

■ [謡曲共通語]小林存「方言交流論」 『方言研究』4 昭和16.10.10 p.72 明治維新当時薩長の官軍と東北六藩の佐幕軍との間の開城談判は、相互の国言葉が通ぜぬため、謡曲の文句に節をつけて行ったものだとこゝらの老人達は語ってゐる。之は事実かどうか必ずし…

2006-03-26

■ [謡曲共通語]野上豊一郎「謡曲と狂言」 『国語文化講座』4国語藝術篇 昭和16年8月25日発行 朝日新聞社p78これは単なる話に過ぎないかも知れないが、奥州の侍と薩州の侍と互ひの方言が通じないので、謡(うたひ)の口調(くてう)で掛け合ったら話が通じたとい…

2006-03-25

■ [謡曲共通語]柳田国男「わたしの方言研究」 『方言学講座』第1巻 昭和36年1月31日 維新の際に、東北なんかに九州の人が行って、ことばが通じないんで、謡曲で話をしたなんてことをよく言うんですね。小説文体を出したとか、いろんなことを言うんですが、…

2006-03-24

■ [謡曲共通語]柳田国男「言語生活」 『明治文化史』13風俗編14章 その6節、標準語と方言 一、方言の撲滅 昭和29年9月30日 洋々社 p522それが維新の際九州の武士が、奥州へ行って話が通ぜず、謡の言葉で物をいったら通じたという、民間に流布している話のよ…

2006-03-23

■ [謡曲共通語]柳田国男「標準語と方言」 『国語文化講座』1国語問題篇 昭和16年7月20日発行 朝日新聞社p246(『標準語と方言』明治書院S24.5.10の「標準語の話」p3、武藤辰男編『美しい国語・正しい国字』河出新書31 S29.2.20の「標準語のはなし」p9)口の言…

2006-03-22

■ [謡曲共通語]花園兼定『洋学百花』 昭和14.10.5 ヘラルド雑誌社 p177「方言の差別」 徳川時代の「国替」や参勤交替が国語発達に貢献したことはいふまでもない。江戸参勤交替の時、九州の武士と奥羽の武士が言葉が通じないので、謡で話をしたなどいふ話があ…

2006-03-21

■ [謡曲共通語]東条操「標準語と方言」 『国文学解釈と鑑賞』4-7(38)昭和14.7.1 p100奥州の武士と薩州の武士が謡で用談を辨じたといふやうな事が現代に起ってはそれこそ大変である。ツイートする

2006-03-20

■ [謡曲共通語]奥里将建「大和口上物語集とその検討」 『方言』8-2昭和13.5.1彼の会津攻めの際に演ぜられた滑稽劇ツイートする

2006-03-19

■ [謡曲共通語]日下部重太郎『現代国語思潮』 昭和8年6月15日 中文館書店 35頁幕府時代には畿内語自身も大いに変遷し言文二途の有様で国語が発達したと述べたが、特に、江戸幕府の時代において三百諸侯が全国に分封されて、言文二途の距離は益々隔たってきた…

2006-03-18

■ [謡曲共通語]『国語百談』日下部重太郎 大正4年9月5日発行 丁未出版社 215頁〜219頁 九四 薩摩と仙台 徳川時代には、正月三日の謡初(うたひぞめ)式を始として、謡曲は幕府及び諸藩の重い式楽となり、武家の嗜むべき一藝となってゐた。曽て、薩摩様と仙台様…