国語史資料の連関

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2007-01-01から1年間の記事一覧

2007-11-07

■ [方言意識史]三河言葉を似せる(一話一言) 先年頃の かた/\は 立身せんと 朝公儀 三河言葉を にせ廻り 徳川宗賢(1978)『日本人の方言』筑摩書房 p.81徳川宗賢(1981)『日本語の世界8言葉・西と東』中央公論社 p.102渋谷勝己(2008)『シリーズ日本語史4日…

2007-11-06

■ [方言意識史]田舎人のわらひ侍る京こと葉(かたこと) 一其様《そのやう》なこと ○此やうなこと ○どのやうなこと。などいふべきを ○そんなこと ○こんなこと ○どんにやこと ○そがいなこと ○こがいなこと ○そんにやこつちや ○こんなこつちやなどいふこと葉を…

2007-11-05

■ [言語生活史]辞書を買ってもらう(田宮虎彦「別れて生きる時も」) 美智がその辞書を、母に買ってもらったのは、女学校でどうしても国語の辞書がいるようになった時のことであった。美智は母にねだって、やっとそれを買ってもらった。学校で国語の辞書を持…

2007-11-04

■ [漢語]甚しく漢語を加入(早稲田文学) 特に当時羽振最も好かりし所謂志士の大かたは、半ばは儒者、半ばは壮士なりしを以て、言語はその自然の果として、甚しく漢語を加入し、且つ簡短を尚ぶに至れりき、例へば昔しの其処許、貴殿、身共、拙者は君、僕とな…

2007-11-03

■ [方言意識史]薩摩弁を学ぶ(時事新報・福沢諭吉) 昔日、徳川政府の盛んなるときは、田舎の士族が江戸に勤番して、不用ながらも江戸語を語つて旗本の風を学び、維新以来旧鹿児島藩士の勢力盛んなれば、上国の士人までも、わざと薩州の語を学びて媚を献ずる…

2007-11-02

■ [方言意識史]坂東声(太平記) 公家の人々いつしか言ひも習はぬ坂東声をつかひ、着も馴れぬ折烏帽子に額を顕はして武家の人に紛れんとしけれども、立振舞へる体《てい》、さすがに媚《なまめい》て額付《ひたひつき》の跡以ての外にさがりたれば、公家にも…

2007-11-01

■ 街路に白文字の広告(宮武外骨『明治奇聞』) 街路に白文字の広告大正四、五年頃、各地の都会の街路に白文字の広告をすることが流行した。それは、大きな袋の底に広告の文字を切り抜き、その袋に石灰を入れて路上にペタリとおろすと白字が現われるのである…

2007-10-31

■ 記憶術(宮武外骨『明治奇聞』) 記憶術の伝授米国紐育市にエロイゼッテという心理学者があって、我が明治二十年頃、新発明の記憶法を講義すると称し、二十八弗の伝授料を取って教授したのが当たったので、同年、内田周平という者が訳述した『記憶法』を初…

2007-10-30

■ 記憶術(宮武外骨『明治奇聞』) 記憶術の伝授米国紐育市にエロイゼッテという心理学者があって、我が明治二十年頃、新発明の記憶法を講義すると称し、二十八弗の伝授料を取って教授したのが当たったので、同年、内田周平という者が訳述した『記憶法』を初…

2007-10-29

■ 幸福の手紙(宮武外骨『明治奇聞』) 幸運のために経済界の不況を伝えられ、また一般には生活難をかこつ者の多い大正十一年一月の中旬頃、何人の発信とも知れず、郵便ハガキに「好運のために」と題して、 「この葉書をご覧になれば、二十四時間内に葉書九…

2007-10-28

■ 「明治初期の新言語」(宮武外骨『明治奇聞』) 明治初期の新言語徳川時代の言語で、明治初期に廃絶したのが多くあり、また明治初期の言語で、いつしか廃絶に帰したのもある。前者は別に列挙するが、後者を思い出のまま順序なく記してみる。▲陸蒸気 今の「…

2007-10-27

■ 「「出歯亀」と「出歯る」」(宮武外骨『明治奇聞』) 「出歯亀」と「出歯る」明治四十一、二年頃、「出歯亀」または「出歯る」という語が大いに流行した。それは東京大久保の植木職人池田亀太郎という者が、常に女湯を覗いて手淫を行い、ついには婦女を強…

2007-10-26

■ 「舶来のビリケン」(宮武外骨『明治奇聞』) 舶来のビリケン大正三、四[二九西、五」年頃、舶来のビリケンという足を投げ出した行儀のわるい福の神が大流行であった。大正五年の十月、内閣総理大臣になった寺内正毅は、ビリケンに似た尖頭であったので、…

2007-10-25

■ 「「自由」という名称」(宮武外骨『明治奇聞』) 「自由」という名称自由民権論が盛んで、板垣退助が総理で自由党を組織した明治十四年以来、「自由」という語が流行して、商店や理髪床までが自由堂とか自由亭とか自由軒とかいう名を付け、土佐国では人名…

2007-10-24

■ 「ヨカチョロ」(宮武外骨『明治奇聞』) 「ヨカチョロ」という語明治十三、四年頃、東京で「ヨカチョロ」という語が流行し、よいとか、重かろうとかいう場合にこの語を使った。越前福井の芸妓福雪というが、東京新橋に移って来て、酒席でこの語を使ったの…

2007-10-23

■ 「「ぽかん」と「よかったね」」(宮武外骨『明治奇聞』) 「ぽかん」と「よかったね」『武江年表』嘉永三年四月の条に「この月流行詞に、人を呼んで返事をすれば、塩梅よし、またはよかったねなどという。先年ぽかんと言いしと同じことなり」とあるが、こ…

2007-10-22

■ 「ナンテ間がいいんでしょう」(宮武外骨『明治奇聞』) ナンテ間がいいんでしょう明治初年には非理法天権とやらで、「トコ、トンヤレ」という唄が流行し、明治十年頃には「オヤマカチャンリン、蕎麦屋の風鈴」という訳の分からぬ唄が流行し、その後また、…

2007-10-21

■ 「ハイカラ、成金、ゆる褌」(宮武外骨『明治奇聞』) ハイカラ、成金、ゆる褌「ある意味においての名物男、某なる者ありき。欧米における軽薄なる方面の流行を摸してただ到らざらんことを恐れ、その人目に新なる特徴として、元来短くできたる頸に、きわめ…

2007-10-20

■ 「サボルと銀ブラ」(宮武外骨『明治奇聞』) サボルと銀ブラ近年の流行語に、徒歩を「テクシー」と言い、財貨を「珍品」と称するなどの奇話も行われたが、その後、「サボタージュ」を動詞に変えて「サボル」という語がはやり、昨今は東京人が銀座街をブラ…

2007-10-19

■ 「的」(「花の友」) 宮武外骨『明治奇聞』による 的字の流行 一日某活版所を訪ふ。雑談の末、主人曰く、頃ろ文章界に於て的字の流行甚く、一語の裡、一行の間、二三の的字あらざるなく、其活字も他の活字の一倍を備るも猶ほ足らざるを愁ふ。僕等昔時は弓…

2007-10-18

■ [漢語]明治の四字漢語(宮武外骨) 宮武外骨『明治奇聞』一、大正十四年刊 明治の初期は四字漢語の時代であった。官衙の布達でも、民間の新聞雑誌でも、好んで四字漢語を用ゐた。法律の語などにも、それが多かった、と雨花先生*1のおはなしを承り、それを…

2007-10-17

■ 手習(露伴) 其頃習うたものは、「いろは」を終って次が「上大人丘一巳」というものであったと覚えて居る。http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card1443.html 幸田露伴「少年時代」ツイートする

2007-10-16

■ 節博士 右語り本の通り正本にうつし畢ぬ節墨譜は和歌より出て発声甲乙の秘密を受伝へたる竹本の末葉に到りたれ共猶おのれ/\がふし付の心いきは其人によりて知るべし秘事はまつ毛とや賀志久 新日本古典文学大系94『近松半二江戸作者浄瑠璃集』p134 近松半…

2007-10-15

■ 横書き履歴書 むかしから履歴書はみの紙・半紙に毛筆で書くのが正式とされてきたが、最近ペン字横書き履歴書が官公庁で正式に採用され、ほとんどの会社もこの方式にふみきったので、ここに両方の書き方を紹介する。なお履歴書には各官庁・会社独自のものも…

2007-10-14

■ 隋 隋の煬帝(ようだい) (中公文庫) 作者: 宮崎市定出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1987/09メディア: 文庫クリック: 1回この商品を含むブログを見る 隋文帝が縁起を担いで、隋という字を新たに造ったというのは、宋儒の喜びそうな説である。宋代の学者…

2007-10-13

■ 「軽率・軽卒」 山口瞳「伝法水滸伝」(『伝法水滸伝』集英社文庫) 軽率という字が書けますか。ふつう軽率といえば、軽卒と書いてしまうでしょう。(中略)『明解国語辞典』には「軽率」だけしか出ていません。(中略)昭和十九年版の同じく三省堂発行『…

2007-10-12

■ 太田全斎 三村竹清『本之話』『三村竹清集二』 俚諺集覧作者 俚諺集覧は、村田了阿の著と伝ふれど、さにはあらざるべしとの世評なりし、活版にせしもの、原本とは大に改まりゐて、原本には引用書目なども挙げあるよし、予がもてる福山の儒太田全斎の手紙、…

2007-10-11

■ 忌詞 松屋筆記、二-六(古く齋宮齋院の忌詞ありて、延喜式に載せらる、また常の詞にも、病を歡樂、【吾妻鏡その外家記におほし】臍帶を切るをホソノヲヽ繼グ、【榮花卯花の卷】梨をありの實、【大草料理の書】などいふ類古書におほかり、これをしらずしては…

2007-10-10

■ 忌詞 ○仏を立ずくみといふ忌詞延喜斎宮式?斎宮忌詞の、内七言、外七言、同斎院式斎院忌詞などに、仏を立ズクミといへる詞なし、こは砂石集一の巻、太神宮の御事の条に、仏ヲバ立ズクミ云々、神道集一の巻、神道由来の条に、仏ヲバ直《スク》ミ云々などみえ…

2007-10-09

■ 忌詞 玉勝間 選子内親王?の御哥選子内親王?、賀茂のいつきときこえける時に、西にむかひてよみ給へる、 思へどもいむとていはぬことなればそなたにむきてねをのみぞなく、詞花集に入れり、すべて伊勢賀茂の斎王《イツキノミコ》の宮にては、いみじく仏を忌…