国語史資料の連関

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2007-11-04

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特に当時羽振最も好かりし所謂志士の大かたは、半ばは儒者、半ばは壮士なりしを以て、言語はその自然の果として、甚しく漢語を加入し、且つ簡短を尚ぶに至れりき、例へば昔しの其処許、貴殿、身共、拙者は君、僕となり、おのれより身上、眼下、同輩、又は士農工商などの別により尊称いろ/\ありしも、今は身上のほか又四民一般に君、僕が通用せらるゝ如き、是れまづ一大変動即ち庶民平等主義の陰影を示すものに非ずや、

早稲田文学」第二九号(明治三〇年三月発行)

飛田良文『東京語成立史の研究』p197

森銑三『明治東京逸聞史』

維新当時の志士に依って、これまでの貴殿、そこ許《もと》、身ども、拙者などの言葉が、君僕というのと変り、今ではその君僕が殆ど一般化した。十年前までは「書生」の語がはやったのに、今は「青年」という言葉がしきりに用いられる、などといってある。