国語史資料の連関

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2007-10-09

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玉勝間

   選子内親王?の御哥

選子内親王?、賀茂のいつきときこえける時に、西にむかひてよみ給へる、

  思へどもいむとていはぬことなればそなたにむきてねをのみぞなく、

詞花集に入れり、すべて伊勢賀茂の斎王《イツキノミコ》の宮にては、いみじく仏を忌て、そのすぢのことは、詞にいふをだに、いましめられたる、御さだめなりき。然るに御国人は、むかしより、たかきも賎きも、かしこきも愚なるも、おしなべて、仏の教を信ぜぬ人は、よに一人もなかりければ、いつきにゐ給ふをば、罪深き事にして、歎き給へるならひなりき。されど神につかうまつり給ふ御心の、まめやかにおほせんには、その忌嫌《イミキラ》ひ給ふすぢをば、かけてもおぼしよるべきわざならぬを、西に向ひて、ねになき給ふばかりなりしは、いはむかたなきまがことにぞ有ける。さては御かたちのかぎり、皇神《スメカミ》のいつきにてはおはしまして、御心は、もはら極楽の阿弥陀の斎《イツキ》にこそおはしけれ、さるにても御心の内にこそは、おのづからさおぼすこともあらんにても、おほやけの重きいましめなれば、哥などによみ顕はし給ふべきにあらず。又たとひよみ出給へりとも、必ず人に語りなどはし給ふまじきわざなるを、御はぢともおぼさずや有けむ。されど此みこのみの御とがにしもあらず、いともかしこく、神をばわすれ奉りて、たゞひたぶるに、仏の教をたふとみおこなふをのみ、いみじき事にはして、かゝるすぢを、かへりて心ふかくあはれなるわざに、なべて人もいひ思ふ、世の中のならひなりしかばぞかし。そも/\此ひめみこはよに大斎院と申して、円融天皇の御世、天延といひし程より、後一条のみかどの、長元といふころまで、五御世《イツミヨ》にわたりて、御よはひ七十にちかきまで、斎《イツキ》におはしましければ、さばかりの御老のよまで、仏の道おこなひ給ふことかなはぬを、心うくかなしくおぼしけむも、さる世のならひにては、御ことわりぞかし。さればさばかり仲子に御心よせて、西にむかひてなき給ひし、此みこしも、あやしく長くたひらかにつかうまつり給へりし事は、大神の御心にも、世の中のならひにおぼしゆるして、あはれとおぼしめしてにやありけむ。又それも、まがつひの神の例のあやしき御心にや有けむ、


廣文庫「忌詞」に引く。