国語史資料の連関

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2011-11-01

詩学第一則(授業編) 詩学第一則(授業編) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 詩学第一則(授業編) - 国語史資料の連関 詩学第一則(授業編) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

聖人の言。古昔を證してのたまふには。必ず尭舜とのたまひ。詩書との玉ふに過(すぎ)ず。詩書に載(のせ)ざるところ。尭舜より以前の事も。聖人知ろしめさずと云にはあらじ。但夏殷の礼といへども。杞宋の文献足らずして。言て徴(しるし)なきを以て。の玉はぬとあるに拠ば。詩書の外は古典の存するなく、言て徴なきを以て。のたまはぬなるべし。易に。古者包犧氏之王天下也とあるを以て見れば、尭舜より以前の事も、知ろしめさぬにあらざるは知るべし。されば学業は、上尭舜にさかのぼり、詩書のことわりをだに明らめば、稽古に於ては遺恨なかるべし。是に由てこれをいへば、世代に於ては尭舜、典籍にとりて詩書は、学業の原始にして、詩の教は、是と始を同じくするものなり。いかにとなれば、詩といふ文字、すでに書の舜典にあり。しかも字義に明解ありて、詩言志と見へたり。古書文字訓詁かくの如く著明なるはまれなり。されば凡そ詩を言ん者は、この言志とある義を、とくと辯え知るべし。其他は、温柔敦厚は詩の教なりとある古言を、深く信じ、一首を作ると云とも、其義を心に存すべし。是詩学の本領なり。余人に詩を教るも、全く此にあり。されば言辞巧みなりとも、音韻とゝのひたりとも、此二つの義にそむきたるは、詩といふべからず。且古昔は、詩と楽と、一にして二ならず。詩に得るときは楽を得べし。周のおとろふるより、楽政みだれ、詩楽遂に岐す。遂に岐すといへども、本源は一なり。楽の教を中和と云。とりもさをさず温柔敦厚の義なり。今にして古楽を知るべからずといへども、此に於て此を求めば、其万一を髣髴すべし。されば尭舜の時すでに撃壌の歌あり。舜の時、卿雲歌、〓〔庚貝〕哉歌、南風操あり。是すなはち詩のはじめなり。又楽府のはじめなり。委しき事は余楽府類解に辯じおけり。

何れにも詩は道と始を同じくするものと思ふべし。然るを近人、やゝもすれば、是を下視し、或は自ら菲薄して、今の詩は古の詩に異なりなどいふは非なり。世代遼遠にして、体裁しばしば変ずといへども、詩は志を言ふなれば、人々心のゆく方を言に発し、筆にしるすに、何の古今といふ事かあらん。但代に隆汚あり。人に邪正ありて、感ずるところ、或は同じからざるのみ。たとへば、物かくものを筆といふ。今の筆といふもの、果して古昔の筆の如くならんや。時代につれて、製造は違へども、ひとしく物をかく物ばれば、是を筆といふが如し。其感ずるところの邪正は、必ずしも時代にはよらじ。亦唯人々の心にあらんのみ。されば詩は志を言ふとある義を、よく/\思ふべきなり。

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