国語史資料の連関

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2009-03-01

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 明治の気分に漬る或会で、まず松林伯知明治初年の伯円物――新聞のタネをすぐ講釈に演じた、『三千両小僧の米櫃』が一席演じられる。「照屋忠右衛門が、小僧の浅吉を絞殺して、三千両の金を、死体とともに、米櫃へ隠しまして……裏隣りの通事の家へ預けました。スルト同家のブルドツクが匂ひを嗅いで、クン〳〵鼻を鳴らし、米櫃を嗅き廻るところから、不審が起り、橋本巡査部長が立会ひ事露見に及ぶ」顛未を弁じると、巡査の薩摩言葉話題になつて、田中智学翁「伯円は苦しくなると巡査を出すと、よく言つたものであるが、巡査が出ると、巡査が出たといつて、聴客は又喜んだものだ」とあつて、更に伯円の新聞即席講談から、「大阪で伯円を聘んだことがある。大阪知事が貴内という仁で、御前講談を其儘するといふので、知事がまづ座布団から辷つたから、並居る人々も之に習ふと、伯円非常に喜んで、こんな心持のよい講談をしたことがないといつたが、其時出した名刺が松林正信と印刷してあつた。ソシテ隅の方に、小さく伯円とあつたよ」

篠田鉱造『明治百話』「上野公園梅川亭の一夜」 273-