国語史資料の連関

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2007-07-30

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七 標準語都會語東京語

 それから又訛りといふこと、皆さんの中には地方の方も居らつしやいませうが、東京では能く地方の方の訛りのことを申します。放送局アナウンサー諸君の中にも訛りがあつて聽き苦しい、お國言葉があるといふやうなことを世間の人から毎々聞きますが、それを非難する人たちの方がアナウンサー諸君以上に随分訛って居る。どうも鳥の雌雄の一件で、どっちがどうだか分りません。ところで近頃、標準語といふことが能く話題になりますが、標準語といふと都會語都會語とは又その中の大都會東京語といふことになりまして、先づ東京言葉を土臺にしてといふことに今ではなつて居るらしく考へます。けれども、私をして申させますれば、今日の東京に果して東京語ありやと聲を大きくしたいのでございます。私は演藝界などに關係して居りますので、案外外界の空氣の入つて來るのに縁遠い社會の東京人と可なり多く交際して居りますが、その人達の言ふことも必ずしも純粹の東京語はかりではございません。百人の中九十七、八人迄は怪しいものです。こんな連中から何とか彼とか言はれる地方の方は甚だお氣の毒でございます。少し誇張して申せば、純然たる東京語といふものは、今の東京では中々聞くことがむづかしいのでこざいます。追々に實例を申しますが、突如としてかういふことを申しますと、前の話とはどうやら聯絡がないやうにも聞えませうけれど、講談師?にしろ、落語家にしろ、俳優にしろ、親代々の江戸ッ子東京子を以て任じて居る人の中にも知らず知らずす訛りが入り、諸國入り交りの言葉か入つて居るので御座います。東京の藝人であるから、彼等の言葉は定めて純然たる東京語であらうといふ風に、皆さんは餘りお買ひ被りにならないことを御注意申上げて置きます。

 先づ訛りの一寸した例は、長唄の「杵屋」の發音の「ネ」か下がる、尾上菊次郎の「ク」が上がる、「梅幸」の「イ」が下がる、どれもアクセントが違ふので御座います。このアクセント違ひで私が大變困りました例があります。先年京都へ参りまして。京の四季の唄の中にある長樂寺といふ寺の所在を知らうと思つて、その邊の人に二三人訊いて見ましたが分りません。後で段々訊くと「長樂寺」を東京流に眞直に發音したから分らないので、唄を唄ふ通りの發音で、訛って訊けば直ぐ知れたのでした。

 ところで私が前に申しました親代々の江戸ツ子、今の東京ツ子、さういふことを以て都會人であるといふ誇りにしてゐる人達の家庭に、どうして間違った言葉がドシ/\出来るかといふと、これは皆小學校へ行く子供達が學校から持つて参ります。それでさういふことには何の研究心もない爺さん婆さん、一番頑固であり、頑迷であつて、近頃のことは耳に入れさうもないこれ等の人が、先づ自分の孫の可愛さにポーツとして如らず識らず小學校から輸入する言葉を琵えてしまふ。さうして親代々の勇みの家庭のお爺さんお婆さんたちの言ふことまでが、何時か純江戸ッ子でなくなる。而して又これか東京語でもない。皆さんも始終お聞きでありませうか、近頃大人でも子供やも「ねえ」といふ言葉を使ふ。「それでねえ」なぞと云ひます「ねえ」、これを皆今の子供達は地方語のやうな尻上りに云ひます。それが宜いか悪いかといふことを批評致すのではございませんが、兎に角昨今は何處の國の言葉か分らないのが綾々入つて参りました。これは私自身の疎経ではございいますが、私に取つては厭なことでございます。又この頃一般にいふ何々を「しなさい」。これは東京では人を目下に見た言葉です。現に新聞の家庭欄、婦人欄といふやうなものを見ますと、何々女史諸君が「決心しなさい」、どうとか「しなさい」。東京では番頭が小僧に向つて「早く水を撤きなさい」。とこんな命令的の時だけにしか使ひませんが、それもモウ今では一種の東京語であると私は観念して居ります。東京語都會語標準語の見定めのむづかしいのは此處です。

 尤も中には東京言葉であるかないか、直ぐ分るのも御座います。東京のでない言葉に「兎も角」といふのがあります。これは更めて卵す迄もなく「兎も角」は「兎も角も」、「兎に角」は「兎に角に」の暗でして東京では、「兎に角」とは申しますが、「兎も角」とは如何なる場合でも申しません。それから又この節の新聞等を見ますと、「騷動が起さる」。かういふ言葉東京には絶對にございまセん。騒動が起きたり寝たりは致しません、必ず「起こる」と申します。それからこの數年來「ちよつと」といふことが矢鱈に流行りますが、これも東京では「ちよいと」で而もアクセントが違ひます。「ちよつと」と變な節はつけない、それから「下さいませ」も流行りものですが「ちよつと來て下さいませ」なぞといふ言葉東京にはないので、此の場合は「ちよいと來て下さいまし」と申します。それから「なさった」といふこともこちらでは申しません。「なすつた」で御座います。それから「あそこ」といふことも一般語になつて居りますが、東京では「あすこ」、「す」でございます。日常三十分か一時間お話して居る中にも、一寸これだけの言葉の違ひがこざいます。

 それから東京の人が能く槍玉に上りますのは。「ひ」と「し」の違ひで、東京人は「ひ」と「し」の發音が出來ないと謂はれて居りますが、この顕は小學教育が盛んになりまして、昔流に「しぴや」だの、「しばち」だのいふやうな人は私共の鈎つて居る範圍では先づ御座いません、弧いて「ひ」と「し」の事を云ヘば、關西の人でも間違ひがあります。あちらでは「叱られる」を「ひかられる」と申します、どうも訛りといふものは仕方のないもので、「か」と「くわ」の發音のハツキリしない東京では堂々たる大會社の名がローマ字で「かいしや」と書いてあるのが澤山あります。重役連も昔小學校に居た時には假名遣ひを勉強したが、學校を出て偉くなると勝手次第だといふことは、文教當局の方にも御一考を煩したいと思ひます。

 それから又近頃では、一般に「お」の字と「ご」の字の使ひ方が違ひます。一例を云へば、昨今の「お上品」といふ言葉私共は「ご上品」と覺えて居ります。それから又何んでもこの節は馬鹿々々しく丁寧にものを云へば宜いと思ふらしく無暗と「御」の字を附けたがるのも困ります。

 銀座の大通りのある百貨店、名前は氣の毒でございますから申しませんが、食堂の衝立の眞中に貼紙があつて「お持参の品は」何んとやらして「お氣遣ひ願ひます」は大笑ひです。「御持参の品は」「御注意下さい」とあるべき處です。われ/\の常識では「おぢさんの品」だの「おばさんの品」だのは随分雰可笑いし、又「お氣遣ひ」とは心配をする案じるいふことでこれも珍です。食堂へ十錢か二十錢のものを食べに入つて、おぢさんの物にさう心配して居ては味も何にも分らない。イヤ、そればかりでなく、方々の百貨店の折詰の蓋の上に大抵書いてある文句、「少しも早くお召し上り下さい」、との「お」の字は餘計です「召し上る」といふことか既に敬語ですから、その上にもう「お」の字は要りますまい。處がもつとひどいのになると。「幾ら/\お頂戴致します」馬鹿丁寧にも程があります。と、かう數へ立てると珍妙なのが山ほどありますが。もう大抵に致して置きます。

 最後に申上げて置きたいことは、皆さんは辯舌のことに付て御研究ですか、餘り標準語だとか、都會語だとかといふことにお囚はれになりませんで、昔から云ふ通り「言葉は國の手形」、それを成るべく分り易く話すといふことで先づ宜しからうと思ひます。

文部省社会教育『話法と朗読法』昭和10年

http://uwazura.seesaa.net/article/10051789.html


金田一春彦日本語は乱れているか