国語史資料の連関

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1994-06-03

[]都賀庭鐘 読本漢語 都賀庭鐘 読本の漢語 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 都賀庭鐘 読本の漢語 - 国語史資料の連関 都賀庭鐘 読本の漢語 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

                   岡島昭浩

 「語彙研究の対象が文学作品に偏している」とよく言われる。しかし文学作品語彙研究は、難語の意味研究に偏していて、特に漢語などの現代語との関連等は、佐藤亨氏の仮名草子鈴木丹士郎氏の読本等の他にはあまり見えないようである。一語一語の研究は、解釈上の難易にかかわらず、重要であると考えるが、その語誌の記述の際、用例の背景をおさえておくことが要求される。それには、文学研究の立場から、中村幸彦氏の指摘もあるが、語学的立場からも、その文献に、いかなる語が、いかなる傾向で見られるかを、おさえておきたいと考える。

 私はここで読本漢語をとりあげるが、それは、現代漢語の中に読本の時期までさかのぼるものがありそうだ、というのが、一つの理由である。

 文語的で、話し言葉などにはあらわれにくいものー例えば漢語、の一部等が、現代語に残っている(幾時代かを通じてあらわれる)場合、それは読みつがれ、書きつがれていくことによって後世に伝えられた、という過程を考えることが出来よう。例えば、洋学に関わる語などは、学問の発展とともに読みつがれたものであって、専門用語として定着したものなどは特にそのようなことが言えるのではなかろうか。一方、読本などの文学作品においては、それらとはおのずと違った一群の語を有するものと考えられる。例えば鈴木丹士郎氏が「読本語彙」(注・参照)にあげている「万事休」「苦肉計」「老婆深切」などと言ったものは文学に特徴的なものであろう。

 先学の業績を参考にしつつ、読本漢語現代語との関連を探ってみる。例えば、

     あとさき こつがい    つ いつせい

  手下の前後しらぬ乞弓を五六十人引連れ一斉に浄応が家に来る

                       (英草紙二)

  しうきいつせい す・ て  ひき あし ひ

  衆鬼一斉に前みより、手を祉、脚を祉き   (英草紙五)

  おにどもひとつに

とある「一斉」は、小学館『日本国語大辞典』(以下『日国大』と略記)では、このようないちどきにという意味では『小説字彙』の

  一斉イッショニソロフナリ

をあげる他は、すぺて明治期用例である。尚、この意味では『大漢和辞典』(以下『大漢和?』と略記)は『紅楼夢』の例しかあげず、漢籍でも明清の頃、多用されたようである。

 次に、

   けつまつ しようか  こと     さき

  只其結末の頒歌ふた言みことを先にき・て  (莠句冊六)

    をはり

とある「結末」は、漢籍では、『水滸全伝』に見えるが、『日国大』では明治用例のみをあげる。

 「見識」という語は、『日国大』では『風来六部集』 『源頼家源実朝鎌倉三代記』の用例を古いものとしてあげるが、読本にも、

  もと

  原より大見識ありておもふやう       (英草紙五)

   わがけんしき     くちを

  是又我見識のかぎり知れて口惜しからん   (英草紙六)

  いっけんしき  いひ

  其一見識にて言及せば言へからざるにはあらず(莠句冊一)

 みづうみ とひこえ けんしき

  湖水を飛跨の見識をやめてよ        (莠句冊九)

とあり、意味の上で現代語との関連に少し問題は残るが、読本の頃にまでさかのぼる語のようである。『大漢和』では、『二程全書』『紅楼夢』『京本通俗小説』『警世通言』の用例をあげ、他にも、『水滸全伝』『二十年目睹之怪現状』『儒林外史』、元曲『望江亨』『殊砂擔』『馬陵道』等に見られるもので、白話の中で多用されたもののようである。

 以上にあげたものの他にも、現代漢語の中で読本の頃までさかのぽりうるものが、いくらもありそうである。

 又、現代語の源流を考える際、「中国近世稗史小説か輸入され、それらを通して、漢語がさらにその数を増していった」という指摘がある。稗史小説の輸入に関しては、石崎又造氏『近世日本に於ける支那俗語文学史』に詳しいが、その中にも、「俗語文学を通じて輸入せられた近世支那語に関しても研究すべき筈であるが、之等は他日の増訂に俟ちたい」とある。}の後ミ稗史小説のー入筆近世唐話学については、麻生磯次氏、中村幸彦氏、宗政五十雄氏等による論考がある。その中で唐話語彙に関しては、荒尾禎秀氏、藁科勝之氏に、近現代の漢語との関係を論考したものがある。

 では、稗史小説翻案であることが多い読本は、どのような漢語を使用していたのであろうか。麻生磯次氏は読本漢語の特異さを他の小説類と比較して言っているが、それが稗史小説の輸入肥よる語であれは、唐話辞書の項目のような外国語ではなく、国語の中で使われたもの、ということになろう。馬琴読本については麻生磯次氏等も指摘するように、次の文によって、その稗史小説中の語の便用がわかる。

    からくに        せう のせ    いくん

  拙文。唐山なる俗語さへ抄し載て。旦意をもて。彼義を知し

      むざ               ころう   からくて はいし

 む。要なき所為に似たれども。世に独学孤陋にて。唐山の稗史

    よ圭   ほり            そ せんてい

 説を。読まく欲する諸生あらば。其が筌蹄になれかしと思ふ。作

    しんせつ

 者の老婆親切なりけり。(南総里見八犬伝第九輯

                下帙中巻第十九簡端贅言)

このように、馬琴はある意図があって、中国俗語稗史小説中の語を読本の中に取り込んでいた。しかし、それは他の読本にも言えることなのであろうか。又、読本における漢語の特異さば、中国稗史小説からの影響ということだけで律しきれるものなのだろうか。又、そのように読本の中で使われた語のうち、現代語にまで残っているものに、どういうものがあるのか。このようなことを考えてゆくのが本稿の目的である。

 尚、本稿において読本の中でも、都賀庭鐘読本をとりあげるのは次の様な理由からである。

 〈読本の祖〉と呼ばれるように、極初期の読本であったこと-後の読本に影響を与えていると思われること。

 中国稗史小説からの翻案に、直訳的な部分の多いこと-そこに中国俗語が見えても、それは馬琴の様に意図したものではなく、単に翻案したことの反映なのであろう。又、その直訳部分と、そうでない部分との間に漢語使用の面で違いがないのか、という問題をも考えうること。

        二

 都賀庭鐘は、中村幸彦氏「都賀庭鐘伝孜」等によると、「康煕字典」の筒の他、露竺笑:毅時代三国志:蟹麦目婆伝一等の中に付された白話の註などもあり、かなりの中国語の力を持っていたと考えられている。その庭鐘が書いた読本のうち、寛延二年刑曇英蕃、明和三年刊晶繁野話一、天明六嶋謹莠句冊』の三種を、庭鐘の読本三部作?と呼びならわしている。

 『英草紙』所収の九篇のうち、現在のところ原話であろうとされているのは以下の通りである。

  ごだいご   みかど     ふじふさ

一、後醍醐の帝三たび藤屏の

  いさめ  くじくこと

   諌を折話

  ばばもとめめ しつめ ひぐち むこ

二、馬場求馬?妻を沈て樋口が婿と成話

   なること

 とよはらかねあきいん き、くに

三、豊原兼秋?音を聴て国の盛衰を知話

 せいすい しること

 

 くろかはけんたぬしゃま いっ みち ゑ

四、黒川源太主?山に入て道を侮たる話

   こし』

 

 きのたうしげいんし いたつ たいごく

五、紀任重?陰司に到て滞獄を断る話

  わくる こと

 さんにん ぎぢよおもむき こと

六、三人の妓女趣を異にして各名を成話 (一部)

  おの〃聰 なすこと

 はくすいおう  まいぼくちよくげんき

八、白水翁?が売卜直言奇を示す話

  しめ こと

 かうのむさしのかみひ   いだ

九、高武蔵守?牌を出して媒をなす話

 なかだち    ζと

王安石三難蘇学士

      (警世通言巻三)

金玉奴棒打薄惰郎

  (古今小説港二七・今古奇観第三二)

愈伯牙捧琴謝知音

  (警世通言巻一・今古奇観一九

荘子休鼓盆盛大道

  (警世通言巻二・今古奇観第二十)

闇陰司司馬貌断獄

     (古今小説巻三一)

王幼玉記

    (青墳高議前集港十)

三現身包竜図断冤

     (警世通言巻二二)

嚢晋公義還原配

  (古今小説港九・今古奇観第四)

 これをもとに原話との対照を行うわけであるが、従来の翻案態度への言及は、文学研究の立場からなされてきたため、原話をどのように変えているか、という点に目が向けられている。例えば、庭鐘翻案は表面的な移植で、秋成のそれは典拠とかなりの隔りをもつものであった、などの見方がそれである。しかし、これを語学的に見る場合には、直訳の所とそうでない所を分けて、直訳部分に関しては、中国語漢字表記日本語漢字仮名交り文にどう置き換えたのかという問題、又そうでない所とはどのような違いが現われているのかという問題などを考えるのである。

 それでは、読本とその原話とを比較対照することによって何が明らかになるのであろうか。『英草紙』への中村幸彦氏の註は、その雷について、原話に見える旨を示すことがある。これは一語一語について見るもので、例えばある語の語誌を記す際、『英草紙』に見える語で、原話と一致するものを用例としてとる場合には、その旨記すべきであろうと思われる。例えば、「万事休す」という言い方に関して、鈴木丹士郎氏は『宋史』『小説橦言』の例と、『英草紙』『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』の例をあげ、「おそらく中国白話小説用語にもとづいたものであろう」と推定している。これは、『水滸全伝』『二十年目睹之怪現状』にも見えるものである。

この『英草紙』の例を原話と対応させて見ると、

  こんや        ぱんじ きう

  今夜真に死せば、万事皆休す        (英草紙八)

          なにごともそれきり

  若今夜真箇死、万事全休

となっていて、少くとも『英草紙』の例に関しては、氏の推定が当たっていて、他の例もおそらく同様のことになると思われる。

 一方、これを一語一語ではなく、巨視的に見るとどういうことになるのか。これは〈読本漢語の特異さ〉と言われるものを、原話からの影響という面で明らかにするためのものである。

 では、原典に見えないものはどういう意味をもつのであろうか。原話に見えないと言ってもそれは一様ではない。原話が明らかでないものはおくとして、〈文章意味は原話に対応しているが、その話の部分は別のものから言い換えられているもの〉と、〈原話にない話の部分に使われているもの〉とに分けて考えることが出来よう。ここでどのような語に換えられているか、どういう漢語が使われているかを見ることによって、都賀庭鐘読本における漢語使用の??がうかがわれるのではなかろうか。

 原話にその語形が見られないものの中に、当時、あまり一般に使われることのないものが多くあれは、それは庭鐘読本における〈漢語の特異さ〉が、中国小説翻案であることの反映だけではない、ということになろう。又、それが漢警側においてもどのような性質のものかを探ることができれば意義があろう。つまり、庭鐘が、その〈あまり一般に使われることのなかったもの〉をどこから持って来たのか、と言うことを探るものである。

        三

 『英草紙』に見える漢語のうち、まず『日国大』等によって、これ以前の用例が明らかなものをのぞくと、〈漢語の特異さ〉とされるものが見えてくるはずである。この中には〈漢語〉とまでは呼べない、形だけの臨時に一語となったような語も合まれている。そういったものも合めて、これらの語のうち、原話に一致した語形の見られるものは、文字通り〈中国稗史小説の影響になる語〉と言ってよかろう。

 勿論、稗史小説白話小説も、その頃になってから使われ始めた語だけで綴られているのではない。その中に、古くから使われているものがあっても、それが読本にそのまま表記されていれば、それば「白話小説からの影響」である。又、それがその当時までの日本語にあまり見られない語であれは、漢籍での使用とは関りなく、その語は「白話小説からの影響によって日本語の中に漢語の形をとった」ということになろう(漢籍に古い例があれは、日本語に現れる基盤に、その例を持つ漢籍日本で読まれた、ということもあるだろうが)。

 例えば「公明」という語は、

  もしけつだんめいはく公る    こう    つみ ゆる   こ。つめい

  若決断明白成跨は、功を以て罪を恕し、公明ならざると

   すなばちつみ をこな    かれ   お・い ふく

 き、即 罪に行ふ時は、彼が心大に服すべし (英草紙五)

 かれ くじ き、ごく けつ     けつたんこうめい    、かれ1りいせい、

  彼に公事を聴、獄を決ぜしめ、決断公明ならば 彼来世

 、こくふう、こくきこんしoうよくうつ  くるしみむく

 極富極貧、今生抑蟹の苦に酬ひ      (同   )

 しこくふうき    おさえふさがね

と見え、原話ではそれぞれ、

  着他剖断、若断得公明、将功恕罪、佃若不公不明、即時行罰、

 他心始服也

  容他放告理獄、若断得公明、来生注他極富極貴、以酬莫今生抑

  ヘマ・)

 轡之若

とあり、原話の影響下にある語と知れる。これを漢籍に探ると、『大漢和』で、梁の劉峻『弁命論?』の例をあげ、古くある語のようであるが、日本側では古い用例が明らかでなく、『日国大』には幕末明治のものしかあげていない。

 「刺客」なる語は、

  しゆじゃう  ゆみひく        せんじ  つかい 。つかゞ

  主上に弓引ものありて、宣旨の使を窮ふものあるか、

      あるい と・つぞく  このふo ざい亨つ    かけ  ひそ

 しからずは或は盗賊の此舟の財宝を心に掛て潜みかくれ

   よのふくる まっ            がんじpう    二ゑ    せんちう

 て、侯更を待なるべし。(中略)岸上に人の声して、船中

                きしのうへ

    さばき      それがしとう。そくしかく たくい

 の人々騒玉ふな。某盗賊刺客の類にあらず(英草紙三).

  想是有仇家差来刺零不然或是賊盗伺候更深、登舟劫我財物、

 (中略)忽聴得岸上有人答応道、舟中大人、不必見疑、小子並非

 奸盗之流、乃稔夫也。

と、完全に対応するものではないが、語としては原話の影響下にあるものと考えてよかろう。これは漢籍では『史記』に『刺客列伝』があるように古くから用いられている。しかし、『日国大』は『英草紙』を初出例としていて、それ以前の用例の有無は明らかではない。又、この語は原話との対照を行い難い部分にも、

  とさしoうしゅん   のほ  しかく おこなは

  土佐正俊を都に登せ、刺客を行しめんとす (英草紙丑)

            ひとごろし

と見える。

 漢籍においても古い用例が見出せないものとして、「更正」という語をあげる。

  かのくされじゆしゃ ゑんらわう な    けいはつ あ。りためたゞ   、

  彼腐儒者、闇羅王と作つて、刑罰を更正さん・oへる

            かのものなんほんじ  いちく力うせ』

 は狂妄ならずや。(中略)彼者何の本事ありて二弘硬め柾。け

 ることを得ん                (英草紙五)

  他欲作閻羅、把世事更正、甚是狂妄 (中略)偏他有甚本事

 二更正来

これは『大漢和』では『清国行政法汎論』の例をあげるのみで、『日国大』でも『英草紙』を初出にしている。

 又、先程あげた「一斉」も原話に対応するものである。それぞれ、

  叫起五六十個弓戸、一斉奔到金老大家裡来

  衆鬼不由分説、一斉上前、或祉手、或祉脚

が原話の部分である。

 又、これは現代語にまでは残っていないものだが、「駭然」という語は、鈴木丹士郎氏もあげるように、『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』の他、明治期にも用例が見える。これは『大漢和」では『国史略』の用例しかあげていない。が、

   がいぜん

  衆人駭然たり              (英草紙八)

   おどろく

  衆人倶各駭然

対応していて、白話小説の影響になる語であることがわかる。これば、『水滸全伝』『儒林外史』『紅楼夢』等にも見える語のようである。

 以上の他に、原話に対応するものがあり、それ以前の日本での用例が明らかでなく、且つ現代語にまで残っているものをあげる。

 一塊快々 果然気運義女賢弟資性大言

    まんぞくせぬ  はたして      むすめぷんわがおと・うまれっき

 入舎 脳髄 抑螂

 いりへ     おさへふさがれ

^原話と対応しないもののうち、文脈上は原話通りだが、その語の部分を書き替えているものは、易しい語におきかえるのではないかと思われるが、実際は必ずしもそうではないようである。

 例えば、現代語にはないものだが「離異」という語について見ると、原話で、

  第二妻有過被出

とあるものが、

  つ、き めあやまち   りい

  次の妻は過ありて離異したり       (英草紙四)

          りべつ

となっている。この語は、はなれことなっているという意味では『楚辞』の用例をもつが、離婚の意味では、『大漢和』は『明律?』の例を古いものとする。

 「恩人」という語では、

  幸然天天可憐得遇恩多提救 収為義女一

    あはれみ     おんじんすく      やしな  ・じょ

  天の憐ありて今の恩人に救ひあげられ、養ふて簑女とす

                       むすめぷん

                       (英草紙二)

「恩多」は『大漢和』に項目がない。「恩人」も項目のみで用例をあげぬが、『儒林外史』に見えるようである。『日国大』では、『花柳春話』以下の用例が見えるのみである。

 「助力」は、

  借三五百銭来傲盤優

  しよりき

  助力を乞来れといふ           (英草紙八)

  かうりよく

これは漢籍では『漢書』からあるものだが、『日国大』には人惰本?の例をあげるのみである。

 以上の他に、原話から言い換えているもので、その頃までの日本語用例の有無が明らかでなく、且つ現代語にまで残っているものをあげる。

 応報 街上 竿 頭 官服 貴君 茶房 賞金  転 生

 むくひ ちまた  さほのさき         ちやみせ  はうび  うオれかわる

 反 目 便服 両親

 なかあしき ふだんき

”原話に対応する部分がない部分は、庭鐘の比較的自由な漢語使用が期待される。しかし、やはりそこにも、その頃までの日本用例の有無が明らかでない諳があらわれている。

 例えば「款待」という語は『日国大』では、『英草紙』を初出例とする。

  よろこ  おもて         みんぷ         くわぱんたくしゆつ   これ

  悦び面にあらはれ、民部をとゞめて和盤托出して是

                     のこるかたなきちそう

  くわんたい

 を款待す                 (英草紙六)

  もてなす

       しうし牛  めい       くみ  くはんたい

  何をかなと従者に命じて、酒を酌て款待する内、東方白く

                  らてなす

 なりて                  (英草紙三)

このうち、前者の方は原話が不明の部分だが、段者の方は、

  復命取媛酒再酌、(中略)談論正濃、月淡星稀、東方発白

という箇所に付け加えたもののようである。『大漢和』では『郵燈余話』 『福恵全書』の例をあげ、他には『紅楼夢』 『二十年目睹之怪現状- 『児女英雄伝』等に見える。又、これは『唐話纂要-で

  クハンダイ

  款待享ナシ

        凶

とあり、『小説字彙』でも

  (77)

  款持篶

とあって、唐話学によってもたらされた語のようである。又、表記の面では『莠句冊」に、

     らてなし つ、崩

  道人暮び款待て惹なく、やがてこそとて別れぬ(莠句冊八)

とあり、又、秋成

 せいきう つとめ   もてな   たら

  井日の力はた款すに足ざれども    (雨月物語一)

の「款」を「もてなす」と読めるのは、「款待」という形の存在なしには考え難いという、山口紀子?氏の論がある。

 尚、「管待」というものもあり、これも秋成に、

        もてな

  酒菓子種々と管待しつ・         (雨月物語四)

と見えるが、こちらば『大漢和』では、元曲と『紅楼夢』をあげる。他にも『水潜全伝』 『二十年目睹之怪現状』 『儒林外史』 『児女英雄伝』 『西遊記?』等に見えるようである。

 又、『大漢和-に唐代の用例をあげる「歓待」は、『日国大』で明治以降の用例をとる。この三者は、中国では、款-漢母、管-見母、歓-暁母、と異っているが、日本では同音のため、混用したとも考えられる。いずれにしろ、この三者共、これ以前には日本での用例見出していない。

 「模擬」は、第三篇の中の日本の琴について語る部分に、

  ががく     もぎ

  雅楽の曲に模擬して

      かたどり

とあるが、これは『日国大』では『孔雀楼筆記』を初出とするものである。漢籍では古くから見られる。

 以上の様に、原話から離れて自由に書かれたものの中にも、以前の日本での用例が明らかでないものは、いくらもあるようである。このことは、庭鐘読本漢語に前代までは見えなかったものがある、ということが、〈白話小説翻案ということの反映〉だけではないことを示すものであろう。又、このような話の中にも、漢籍では古いところからあるもの、宋代あるいは明代以降のものと思われるもの、今のところ漢籍での使用が明らかでないもの等がある。これば、原話に対応する語のところで述べたようなこととあわせて、庭鐘読本中の漢語には、白話特有の語彙を借入したものだけではなく、古くからあるもので日本語に定着していなかったもの等を、漢語として使用したものもある、ということになろう。

 このように漢語の多い文章ではあるが、その漢語の多さにひかれて、庭鐘自身躯造語することがなかったかという疑問は輿昧深いものである。日本でそれ以前に用例がなく、漢籍での使用が明らかでないものは、そういった意味でもう少し考察すべきである。これは、漢箸、日本のどちらかでも古い例があれは、庭鐘造語ではなかろうと思われるのでこのことは今後の課題としたい。ことを庭鐘だけでなく読本全体に拡げた場合に曳鈴木丹士郎氏があげる「漢籍類における典拠を明らかにしえない語」中の「近世用例のみとめられるもの」等に含まれる語は多くあって、これらもその意味で検討していくべきものであろう。

 以上の他に、原話に対応箇所がなく、以前の日本用例がなく、且つ現代語に残っているものは次の如くである。

  一 碧 横暴家系 口腹相愛

 ともにあをし

3悔後に、序文一及び原話の不明なもの、原話との対照が行い難いもの、等の中に見える漢語について、これ以前の用例が明らかでない語で、且つ現代語に残っている語は次の如くである。

 開運 雅俗 峨気 奇談  凶 兆 醜聞 茶話 残忍 市街

      ひ均ぬき     わるききざし          むζし

 巡拝将士情人掌文真情帳簿直言嬢客婦道

       おもふひと てのひら まこと ちやう

 不良遊戯

 よか・bぬ

       四

 「古今奇談?」という同じ角書きをもち、『英草紙後篇」という柱題をもつ一繁野話』、同じく「続篇」の『莠句冊』は、当二書の序文を信じ石と、『英草紙』と同時に書かれたもののようである。

  きんろきやうじや       こくじせうせつすじっしゆ  ぎさく   ちやわ  か

  近細折塘三十蒜。鐸払細絃噛舵雌雅て媒權代

 ゆ。千星浪子其中に就て。英草紙九種を摘て書林に授たる

 は、廿年に阜なりぬ            (繁野話序)

                   かきなし      ζのζろ

  古今奇談三十種は、近路の翁?延享の初に稿成たるを。頃に

    あつさ かすみて   はか               はなふさ

 至りて莫棒を数に充なむと計るよしを聞て。むかしの春は英

  そ。りほめ                 すさ

と虚称し、ふりぬる秋にはしげくと荒ましかりて。

                       (莠句冊序)

 この二作は原話があまり明らかにはされていないので、その翻案態度を『英草紙』のそれと比較して漢語の性格を探る、ということは困難である。

 この二作の左側の振仮名は、『英草紙』のそれに比して、かなり減っている。それで、前代までの用例の不明な語が少いかというとそうでもなく、又、その前代までの用例の不明な語に絞ってみても、左撮仮名が少ないという傾向は変わらない。それは左に示す、現代語に残っているものだけの例でもわかるであろう。ここでは、この二作についてはあまり穿撃をせず、現代語との関係だけを考えることにする。

 『繁野話』において、それ以前の用例は明らかでなく、現代語に残っているもの、

 異常 一計 一語 姻属 演義 艶麗 解語 怪物 花街 還元

                        いろざと

 干城 机上 戯作 基本 旧家 近時 軍師 軍略 系累 激論

 まもり         もとたて                か、りあひ

 険所 巧拙 口碑 婚家 再恩 祭事 山塞 産物 自明 弱卒

 謝辞 謝礼 宿駅 宿題 情意 食謄 新粧 生活 生辰 盛粧

 育楼 世代 絶鐘 千辛万苦 戦略 僧衣 俗称 退隠 大喝

      そりたつ-わ

 大金 大差 題名 他姓 脱兎 地名 忠死 伝奇 洞穴 排斥

 半目 美観 必用 福利 仏徒 富民 変名 方位 噛呪 万釣

 密使名勝 明断 門生

 『莠句冊』において、以前の用例が明らかでなく、現代語に残っているもの

 安逸 安定 異種 偉人 竈蒼 応答 怪獣 開城 怪力 家族

 雅致 褐唱 活動 花弁 雅名 監識 鑑賞 鑑定 監督 貴家

   ちや-ろ

 機器 奇遇  軌道 美勇 急務 矯董 愚弄 閨秀 芸林

 結末 公命 古雅 混用 砂洲 拭逆 使役 死屍 自炊 実用

 をはり

 事物 熟思 入来 商家 将家 商議 常体 詳密 女流 進達

 進呈 瑞兆 水利 水量 世代 属国 粗暴 対応 大志

 うけたまはる

 多数 茶器 長文 著明 同一 当主 同調 内乱 日勤 発狂

 発行 発作 万謝 分家 美称 蝉僕 武人 溝場 妙技 明窓

 野乗 友誼 幼名 偲語 連累

 右に見える語を含めて、『繁野話』『莠句冊』中の漢語に、種々の性格のものがあることは、『英草紙」と同様であろう。すなわち庭鐘読本三部作には、それ以前にはあまり使われなかったと思われる漢語の一群があり、その中には現代語にまで残っているものがいくらもあるが、その漢語の中にも、中国白話小説翻案であることの反映という点だけではない要素枇あることが推定された。これは庭鐘に、唐話学を含めた漢学の素養があったことに関わることと思われる。

 〈読本の祖〉において見られるこのような状況は、後代の作品にはどういう影響を与えたのであろうか。一ジャンルをなすにいたる読木の中でも、先に示した馬琴の如き態度、建部綾足の如き和文脈翻案する態度など、種々のものが見られ、こうした点については今後、各読本を見て行く上での課題としたい。

ω 佐藤亨氏『近世語彙の歴史的研究』(昭和55年)『近世語彙の研竈 (昭和馳年)

 所収のもの等

・ 鈴木丹士郎氏「馬琴語彙」(『専修国文』1号)「「里見八犬伝』の漢落語彙にっいての一試論」(同11号)「『里見八犬伝』に見える漢語語彙」(『専修大学論負』1号)「近世文語の問題」(『專修大学論集』3号)「読本におげる漢字語の傍1『雨月物語』と『椿説弓張月』を中心に」(『近代語研竃第2集)[読本の語£」(『講座日本語の語彙近世の語彙』)

⑫ 「語義と用語例江戸時代語研究批判」(『国語学』聰号)

ω この語は佐藤喜代治氏『国語語彙の歴史的研究』中に考察されている。

・ 佐藤喜代治氏『日本の漢語』 「近世漢語概説」の項。

⑰ 『江戸文学と中国文学』等

・ 「読本発生に関する諸問題」(『中村幸彦著述集』第五巻)「『名物六帖』の成立と刊行」(同第十一巻)「上方唐話学界1『螂燈随簑』によって」(『近世文芸朽』4号)他『著述集』第七巻所収の諸論等

⑫ 「近世中期におげる京都白話小説家たち」(『近世文苑の研究』)他

側 「唐語辞書語彙」(『講座日本語学 現代語彙との史的対照』)等

・一噂墓ε〈小説語〉の農菱↑国語彗と纂彗との麦資蜀

 文学研究」67)等

ω 『日本名著全集』 「南総里見八犬伝」による。

・ その他、注・「読本語彙」の「馬琴文章籔」をも参照。

匝3 〈読本〉というジャンルに関しては、横山邦治氏『読本の研究』等を参照。

oo  『中村幸彦著述集第十一巻』所収。又、同青所収の「都賀庭鐘中国趣味」をも参照。

・ この他には文化三年刊『簑淫暑石伝-がある。

⑫ 小学館日本古典文学全集』螂「英草紙・西山物語雨月物語春雨物語」の螂脱

 (中村幸彦執筆)等による。

・ 庭鐘の飜案態度に言及したものには、重友毅氏「螂訳翻案文学としての近世小脱1特胆怪談物を中心として」(『国語と国文学-15・4)斎竈竈一氏「江戸時代に於ける支那小説籔案の態匿(同)麻生磯次氏前掲青第二章等、尾形仂氏「中国白話小説と『英草紙』」(「文学昭和41・3)和田松江氏「都賀庭鐘中国短籏白話小説ーその享受をめぐって」(『香椎潟』22)石破洋氏「都賀庭鐘の飜案態度 『英草紙』第=斎における琴を中心に」(『東方学』55号)等がある。

 注α日の言。

9 注・の論。

 本稿で考寮の對象とするのは、原則として音続の長り仮名が付されているものである。右に音読仮名が籔られていて、左に、あるいは注の仮名都賃られているものもあるが、それも射象とする。

 注ωに同じ。

 注ωの論。

口3 現代語に残っているという認定は『新明解国語辞典』で行った。

・4 享保元年刊。岡島冠山。『唐話辞書類集』算六景による。

 寛政三年刊。著者未詳。『唐話辞書類集-第十五集による。

 「『雨月物語』の用字」(「東京女子大学日本文学-60)

 第一螂第五鶯のように、逐字訳でない部分。

注皿目1ζ同じ。

 本稿で本文として用いたのは以下のものである。

 『英草紙」『繁野話」『莠句冊九州大学文学部蔵。中村幸彦氏「読本発生に関する諸問題」(注ω参照)によると、『英草紙」は四版にあたり、『繁野話」も初版ではないが、「版下は皆同じい」とある。

 「古今小説世界書局刊 民国47年、「影印者以内閣文庫蔵本為主、莫残缺部分則以尊経閣蔵太楠足之。」とある。

 「警世通言世界書局刊 民国47年、「今掠李田意博士所摂日本名古歴蓬左文庫所蔵 明金陵兼善堂本景印。」とある。

 引用に際しては、適宜、通行の字体に直し、句読点を楠い、振仮名を略した所がある。

https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/12017