国語史資料の連関

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2007-08-29

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第四講

       抒情文

  抒情文は、感情を云ひあらはす文章である。叙事文でも議論文でも、その奥には、作者の感情が溢れてゐるものであるが、抒情文は、感情を感情として取り扱ふものであるから、感情を云ひあらはす文章と云ったのである。祭詞や弔詞などの式辭は、純粋の抒情文である。小説も抒情が主になつて、それに叙事の交つたものである。美文も抒情である。書翰文も抒情が主になってゐる。抒情文の範囲も可成りに廣い。

 抒情文を書かうとするものは、先づ感情の修養をせねばならぬ。感情の修養とは、利己心を去って、眞の感情を物慾の爲に被はれないやうにするのにある。人の好く云ふ遊女の空涙と云ふものは、之れ物慾に被はれた感情から赴る偽りの涙である。眞の感情は、これではない。眞の感情を養ふものは、利己心を去り、傲慢を去り、虚榮心を去って、生れたまゝの人間になる事を心掛けねばならぬ。無邪氣なる小學生の作文や、文章の事などを知らざる兵士の手紙に、名文のあるのは、眞の感情のあらはれた結果である。

 抒情文にかぎらす、文章の根柢になるものは誠である。眞の感情は、この誠から流露するものである。滑稽なことを書くにしても、誠のある人にして、はじめてその滑稽に面白味がある。ふは/\した輕薄なものは、形は滑稽でも、その浮薄軽佻さに、人をして悪感を感ぜしめる。要するに誠のある人にして、眞情流露して、可笑しい事には人を笑はせ、悲しい事には人を泣かするの文章が出来るものである。