2018-04-04
■ [方言意識史]南部弁と津軽弁(井伏鱒二「久慈街道」)
中里さんの話では、南部領には子供の遊戲のうち、「泥棒ごつこ」といふのがあるさうだ。巡査が泥棒をつかまへて、訊問したり後手に縛つたりする眞似をする。その揚合、巡査の役をつとめる子供は必ず津輕辯で喋り、泥棒の役をつとめる子供は南部辯で喋る。これには理由がある。南部藩の者と津輕藩の者は、藩主、侍、百姓、町人に至るまで、昔からお互に反目してゐたといふ。現在でもお互に打ちとけない。だから南部領には、たいてい津輕領出身の巡査を差向けてよこすことになつてゐる。巡査が人民と打ちとけては拙い。買收とか贈賄とか間違ひが起り易い。津輕人と南部人の仲ならその心配がない。だから南部領では、巡査と云へば必ず津輕辯を使ふものときめてゐる。「泥棒ごつこ」の巡査も津輕辯を使ふ。しかし、南部辯には南部辯の味はひがあり、津輕辯には津輕辯の味はひがあり、相互にそれが入り混る訊問應答には、抱腹絶倒させられることがあるさうだ。