2018-04-03
■ ズーズー弁(尾崎士郎「人生劇場」青春篇「才子佳人を得たり」)
この吹岡早雄が、あるときの「文学史」の講義で、雄弁家をもって全校に鳴りひびいた口崎教授を弥次りたおしたという一条はまさに特筆大書すべきものがある。
(口崎教授は雄弁家ではあったが、ズーズー弁で、それ故、彼の言葉にしみついている東北訛のために、バアナード・ショウというべきところを常に「バアナード・ヒョウ」と発音する癖がついている)
「先生!」
(そうさけんで勢いよく立ちあがったのは吹岡早雄である)
「何かね、吹岡君!」
口崎教授がでっぷりとふとった、血色のいい顔をあげた。このとき、吹岡早雄の長い顎が例によって急速な伸縮作用を起したことはいうまでもあるまい。
「今、バアナード・ヒョウとおっしゃいましたが——?」
「うん、バアナード・ヒョウ」
「そのヒョウですね、そのヒョウというひとは一体何ものですか?」
「何ものですかって、君、——君は文科の学生で『ヒョウ』を知らんのか?」
(口崎教授の眉がピリッとうごいた)
「ハア——」
彼の顔には人を小馬鹿にしたような表情がうかんだ。
「ヒョウと言いますと?」
教授はむっつりとした顔をしてすぐにチョークをとった。黒板には、
Bernard Shaw ——
という綴文字が大きく書き出されたのである。
「ああ、わかりました、先生!」
(吹岡の顎が、またしても微妙な活動をはじめたのである)
「——ショウですね、バアナード・ショウですね?」
「そうだよ、だから、最初からバアナード・ヒョウだって言ってるじゃないか?」
「それでわかりました、ショウですね」
「ヒョウだよ、——」
(会話を此処までみちびいてゆくところに彼の話術があったと言える。そこで、教室中がどっと笑いくずれるのを見て、彼はいかにも安心したような顔をして腰をおろしたのである)