国語史資料の連関

国語史グループにあったブログ

2007-08-01

[]正岡子規「病牀譫語」 正岡子規「病牀譫語」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 正岡子規「病牀譫語」 - 国語史資料の連関 正岡子規「病牀譫語」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

(五)

◎近時文字改良の論あり。文字にして改良し得べくんばわれも改良に同意せん。しかれども文字改良にも程度あり、もし今日使用の文字と全く別なる文字を用うる事となさば今日以前の文書は殆ど外国語の如くなりて常人の解する能はざる者と為る事を覚悟せざるべからず。また旧文字を捨て新文字を用うる際に非常の不便と反抗とを生ずる事を覚悟せざるべからず。

文字改良論の主眼は漢字排斥にあり。第一、漢字は字数多くして記憶に不便なり、第二、漢字は画多くして書くに不便なり、第三、漢字は字数多くして活字を拾ふ事等に不便なり、第四、漢字は画多くして細字を見るに不便なり。これらの不便は、漢字の性質が、音を現さずして、意義を現すより来る者なれども、他の方面に立ちて見ればこの漢字の性質より来る便利もまた少からず。文字の数多きことは文学上に便利あり。一字一意なるを以て簡便に事物を現すべく、従つて一見して容易にその意を知るべし。象形の字は印象を明瞭ならしむべく会意の字は事理を明瞭ならしむべし。この他、日本人漢書を読むに便に、支那人日本書を読むに便なるは言を待たず。

漢字を排斥すれば、仮名を用うるか、羅馬字を用うるか、新字を製するか、の一を択ばざるべからず。仮名を用うるは、簡単なる事と、日本固有の文字に拠る事と、古文を見るに不便少き事等の条件を楯として、直に漢字排斥論者の主張する所となり、仮名の会なる者起りし事あり。しかれども仮名ばかりの不便なる事は同会雑誌の読み難く解し難かりしにても知るべし。けだし仮名の読み難きは、文字の大きさの同じき事、文字の形の皆丸くして圭角少き事、父音母音の区別なき事等に因る者にして、その解し難きは、同音の字多き漢語仮名に直したるに因るなり。仮名ばかりを用うるは到底行はるべきにあらず。

羅馬字を用うる事は、欧米共通の文字なる事と、字画簡単なる事と、横に書くの容易なる事と、父音母音の区別ある事等の条件を楯として、夙に漢字排斥論者の主張する所となり、羅馬字会の設立ありたり。この方法より生ずる不便は、日本全国の人民をして従来の字と全く異なるこの羅馬字を用ゐしむるの困難なる事、日本固有の文字を捨つるは国家的団結心に負く事、日本古書及び漢書を読むには別に漢字仮名を学ばざるべからざる事、同音の字多き漢語羅馬字にて書けば解し難き事等なり。」父音の後に必ず一母音の来るは不便なれど、こは改良し難きにも非ず。

仮名羅馬字共に不便なりとて新字を製造せんとする人あり。新字とはいへ、仮名にも羅馬字にも非る全く別種の文字を製造するは徒に奇を好む者にして何の利益もなかるべければ、まさかにかかる考を有する人はあらざるべし。さらば新字を製造すといふは従来の日本文字即ち仮名に幾多の改良を加へんの意なるべしと思はる。例へば仮名の形を大小長短種々に変化する事、竪に書かずして横に書く事、父音母音の区別を幾分か現す事等ならざるべからず。しかしこれにも種々の困難はあるなり。

父音母音と字を区別すれば五十音は十五、六字にて現すを得べし。字数少きは便利なれども、少ければ少きほど、多く便利なる訳にはあらず。西洋にてもXといふ字あるは便利なる事あり。速記に用うる符号の如きも必ずしも字数少きを便とせず。「ショ」「チョ」「シャ」「チャ」「ヒョ」「ヒャ」等の拗音は「シ」と「ヨ」を併《あわ》せ、または「チ」と「ヤ」とを繋ぐの方法を取らずして別に一符号を製し置くなり。

文字改良論者は多く記憶の不便、書く事の不便を数へて「見る事」の便否を言はず。羅馬字は長き字、短き字、広き字、狭き字、上に抜き出たる字、下に抜き出たる字などある故に、一の語には自ら一の形を生じ、従つて一見能くその語を区別しやすからしむ。この点においては漢字世界中の最も区別しやすき字なり。漢字の利益は主として此にあり。殊に仮名交り文は名詞代名詞、及び動詞形容詞語根の如き必要なる部分を漢字にて現し、助辞助動詞、及び動詞形容詞語尾仮名にて現すを以て、その語の種類を見るにも甚だ便利あり。書く人は州入にして見る人は千万人なり。書く事の便利なるは見る事の便利なるに若かず。新字を製せんとすれば最もこの点に注意せざるべからず。  『日本附録週報』明治32・4・24