国語史資料の連関

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2007-07-28

[]正岡子規『墨汁一滴』「余が書ける漢字の画の誤」 正岡子規『墨汁一滴』「余が書ける漢字の画の誤」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 正岡子規『墨汁一滴』「余が書ける漢字の画の誤」 - 国語史資料の連関 正岡子規『墨汁一滴』「余が書ける漢字の画の誤」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 黄塔(こうとう)まだ世にありし頃余が書ける漢字の画(かく)の誤(あやまり)を正しくれし事あり。それより後よりより余も注意して字引をしらべ見るに余らの書ける楷書(かいしょ)は大半誤れる事を知りたれば左に一つ二つ誤りやすき字を記して世の誤を同じくする人に示す。

 菫謹勤などの終りの横画は三本なり。二本に書くは非なり。活字にもこの頃二本の者を拵(こしら)へたり。

 達の字の下の処の横画も三本なり、二本に非ず。

 切の字の扁(へん)は七なり。土扁に書く人多し。

 助の字の扁は且なり。目扁に書く人多し。

 麻摩磨魔などの中の方を林の字に書くは誤なり。この頃活字にもこの誤字を拵(こしら)へたれば注意あるべし。

 兎免共に四角の中の劃(かく)を外まで引き出すなり。活字を見るに兎(と)の字は正しけれど免(めん)の字はことさらに二画に離したるが多し。しかしこれらは誤といふにも非(あらざ)るか。

「つか」といふ字は冢塚にして豕(いのこ)に点を打つなり。しかるに多少漢字を知る人にして冡塜の如く豕の上に一を引く人多し。されど冡(ぼう)塜(ほう)皆東韻(とういん)にして「つか」の字にはあらず。

 全愈などの冠(かんむり)は入なり。人冠に非ず。

 分貧などの冠は八なり。人にも入にも非ず。

 神祇の祇の字は音「ぎ」にして示扁(しめすへん)に氏の字を書く。普通に祗(し)(氏の下に一を引く者)の字を書くは誤なり。祗は音「し」にして祗候(しこう)などの祗なり。

 廢は広く「すたる」の意に用ゐる。疒(やまい)だれの癈は不具の人をいふ。何処にでも疒だれの方を用ゐる人多し。

(三月一日)http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/1897_18672.html


金田一春彦日本語は乱れているか」(『金田一春彦 日本語セミナー6』)

黄塔は河東碧梧桐の兄。


誤りやすき字左に

 盡は書畫の字よりは横画一本少きなり。聿(いつ)の如く書くは誤れり。行書(ぎょうしょ)にて聿の如く書くことあれどもその場合には四箇の点を打たぬなり。

 逸と寛とには点あり。この点を知らぬ人多し。

 學覺などいふ「かく」の字と與譽などいふ「よ」の字とは上半(じょうはん)の中の処異なり。しかるに両者を混同して書ける者たとへば學の字の上半を與(よ)の字の如く書ける者書籍の表題抔にも少からず。

 内兩共に入(にゅう)を誤りて人に書くが多し。

 喬の夭(よう)を天に誤り、聖閏の壬(じん)を王に誤るが多し。

 傘は人冠に人四箇に十なり。しかるに十字の上にも中にも横の棒を引く事古きよりの習ひと見えたり。

 吉の士(さむらい)を土に誤り書く者多し。

 舍は人冠に舌なり。されど人冠に土に口を書きし字も古き法帖(ほうじょう)に見ゆ。

 臼の下の処は一を引くなり。兒も同じ。されどこの一の棒の中を切りて二画に書くは書きやすきためにや。

 鼠(ねずみ)の上の処は臼(うす)なり。しかるにこの頃※(「獵のつくり」)(ろう)の字を書く人あり。後者は蠟獵臘などの字の旁(つくり)にて「ろふ」「れふ」の音なり。

 易は日に勿なり。賜の字。惕の字など皆同じ。されど陽揚腸場楊湯など陽韻(よういん)に属する字の旁は易(えき)の字の真中に横の棒を加へたるなり。

 賴獺瀨懶などの旁は負なり頁(おおがい)に非ず。

「ちり」は塵なり。しかるに艸冠(くさかんむり)をつけて薼の字を書く人あり。後者は艸名(そうめい)(よもぎの訓あり)ならん、「ちり」の字にはあらず。こは塵(ちり)の草体(そうたい)が艸冠の如く見ゆるより誤りしか。

 解は角(つの)に刀に牛なり。牛の字を井(せい)に誤るが多し。

 漢字廃止論のあるこの頃かかる些少(さしょう)の誤謬(ごびゅう)を正すなど愚の至(いたり)なりと笑ふ人もあるべし。されど一日なりとも漢字を用ゐる上は誤なからんを期するは当然の事なり。いはんや国文に漢字を廃するも漢字は永久に滅びざるをや。但かかる事は数十年慣れ来りし誤を一朝に改めんとすれば非常に困難を覚ゆれど初め教へらるる時に正しき字を教へこまるれば何の困難もなき事なり。小学校の先生たちなるべく正しき字を教へたまへ。

(三月四日)

 誤りやすき字左に

 段鍛は「たん」にして假蝦鰕霞遐は「か」なり。段と叚(か)と扁(へん)もつくりも異なるを混同して書く人多し。

 蒹葭は「あし」「よし」の類なるべし。葭簀張(よしずばり)の葭も同字なり。しかるに近頃葮の字を用ゐる人あり。後者は字引に「むくげ」とあるはたしかならねど「よし」にあらざるは勿論なり。

「おき」は沖なり。しかるにこの頃は二水(にすい)の冲の字を用ゐる人多し。両字とも水深の意なきにあらねど我邦(わがくに)にて「おき」の意に用ゐるは字義より来るに非ずしてむしろ水の真中といふ字の組立より来るに非(あらざ)るか。

 汽車の汽を滊と書く人多し。字引に汽は水气(すいき)也とあるを福沢翁?の見つけ出して訳字に当てたるなりと。滊の字もあれど意義異なり。

 四の字の中は片仮名のルの字の如く右へ曲ぐるなり。讀贖などのつくりの中の処も四を書くなり。されど賣の字の中の処は四の字に非ず。右へ曲ぐる事なく真直に引くなり。いささかの事故どうでもよけれどただ讀(とく)のつくりが賣(ばい)の字に非ることを知るべし。

 奇の字の上の処は大の字なり。奇の字を字引で引かんとならば大の部を見ざるべからず。されど立の字の如く書くも古き代(よ)よりの事なるべし。

 逢蓬峯は「ほう」にして降絳は「こう」なり。終りの処少し違へり。

 姬(ひめ)の字のつくりは臣に非ず。

 士と土、爪と瓜、岡と罔(もう)、齊と齋、戊(ぼ)と戌(じゅつ)、これらの区別は大方知らぬ人もなけれど商(あきなひ)と啇(音テキ)、班(わかつ)と斑(まだら)の区別はなほ知らぬ人少なからず。

 以上挙げたる誤字の中にも古くより書きならはして一般に通ずる者は必ずしも改むるにも及ばざるべし。但甲の字と乙の字と取り違へたるは是非とも正さざるべからず。

 甲の字と乙の字と取り違へたる場合は致し方なけれど或る字の画を誤りたる場合はこれを印刷に附する時は自(おのずか)ら正しき活字に直る故印刷物には誤字少き訳なり。けだし活字の初は『康熙字典(こうきじてん)』によりて一字々々作りたりといへば活字は極めて正しき者にてありき。しかるに近来出来たる活字は無学なる人の杜撰(ずさん)に作りしものありと見えて往々偽字(ぎじ)を発見する事あり。せめては活字だけにても正しくして世の惑(まどい)を増さざるやうしたき者なり。

(三月五日)


 誤りやすき字につきて或人は盡の上部は聿(いつ)なり閏(じゅん)の中は王なりなど『説文(せつもん)』を引きて論ぜられ、不折(ふせつ)は古碑の文字法帖文字抔(など)を目(ま)のあたり示して全内吉などの字の必ずしも入にあらず必ずしも士にあらざる事を説明せり。かく専門的の攻撃に遇(あ)ひては余ら『康熙字典(こうきじてん)』位を標準とせし素人先生はその可否の判断すら為しかねて今は口をつぐむより外なきに至りたり。なほ誤字につきて記する所あらんとせしが何となくおぢ気つきたれば最早知つた風の学者ぶりは一切為さざるべし。

 漢字の研究は日本文法の研究の如く時代により人により異同変遷あるを以て多少の困難を免れず。『説文』により古碑の文字により比較考証してその正否を研究するは面白き一種の学問ならんもそは専門家の事にして普通の人の能(よ)くする所にあらず。普通の人が楷書の標準として見んはやはり『康熙字典』にて十分ならん。ただ余が先に余り些細なる事を誤謬(ごびゅう)といひし故にこの攻撃も出で来しなればそれらは取り消すべし。されど甲の字と乙の字と取り違へたるほどの大誤謬(祟タタルを崇アガムに誤るが如き)は厳しくこれを正さざるべからず。

附記、ある人より舍の字は人冠に舌に非ず人冠に干に口なる由いひこされ、またある人より協議の協を恊に書くは誤れる由いひこされたり。

(三月十七日)