国語史資料の連関

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2009-06-01

字余り本居宣長字音仮字用格字余り(本居宣長・字音仮字用格) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 字余り(本居宣長・字音仮字用格) - 国語史資料の連関 字余り(本居宣長・字音仮字用格) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

歌に、五もじ七もじの句を一もじ餘して、六もじ八もじによむことある、是(れ)必中<なから>に右のアイウオの音のある句に限れること也【エの音の例なきは、いかなる理にかあらむ、未v考】。『古今集』より『金葉』・『詞花集』などまでは、此格にはづれたる歌は見えず、自然のことなる故なり【『万葉』以往の歌も、よく見れば、此格也。『千載』・『新古今』のころよりして此格の乱れたる歌をり/\見ゆ。西行など殊に是を犯せる歌多し】。

其例を一二いはゞ、源信明朝臣、

 ほの/゛\と 有けの月の 月影に 紅葉ろす 山ろしの風。

これは卅四もじあれども、聞悪<きゝにく>からぬは、餘れるもじ みな右の格なれば也。又後の歌ながら、二條院(の)讃岐、

 ありそみの 浪間かきけて かづくまの 息もつきへず 物をこそもへ。

これは句ごとに餘りて卅六もじあり。其中に第二句のワは喉音ながらア行の格に非る故に、此(の)句はすこしきゝにくし、其他の四もじは皆右の格也。故に多く餘りたれども、耳にたゝざるは自然の妙也【右の二首は後世に字餘りの例に引哥也。然れども右の定格の有(る)ことを知る人なし。是は予が始て考へ出せるところ也。可秘々々】。