国語史資料の連関

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2007-05-18

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皇都午睡三編上〕

京と大坂と一夜の船の隔あるにさへ、

大坂の「温《ぬく》ひ」は京で「暖《あたゝか》ひ」、

京の「きつい」は、大坂の「ゑらい」、

大坂の「大きい」、京で「いつかい」、

大坂で「どゑらひ」は、京で「仰山」、

大坂の「そふじやさかひ」は、京で「そじやけんど」、

大坂の「こちへ遣せ」を京で「爰へ来しや」、

京で「調《とゝの》へて來《く》る」を大坂で「買《か》ふてくる」、

京の「浅瓜《あさうり》」を大坂で「白うり」、

京で「かぼちや」を大坂で「南京《なんきん》」、

京で「腫物《できもの》」を大坂で「でんぼ」、

京で「目疣《めいぼ》」を大坂で「めばつこ」、

京の「辻子《づし》」は大坂の「小路《せうじ》」、

京の「鹽梅《あんばい》よし」を大坂で「田樂《でんがく》」、

京の「燃掻《をきかき》」大坂で「十能《じうのう》」、

京の「ちろり」を「湯婆《たんぼ》」、

京で「鞍掛《くらかけ》」を大坂で「踏《ふまへ》」、

京で「道を上《あが》る下《さが》る」を大坂で「東へ入《いる》とか南へ行《いく》」とか、

京の「くしたくさん」を大坂で「おこしたおこさぬ」。

此餘澤山に有べけれど。五音清濁呂律の運びにていふ程の詞通ぜずして年老《ねんろう》の人に聞ねバしれぬといふ程のことは絶てなし。

門々を賣歩行《うりあるく》賣聲などは、其地の者さへ何を賣やらんと見届てしること也。京にて蜆《しゞみ》を賣聲に「めヱ/\」と賣《うり》、「氷魚《ひを》へ/\」、「酢莖《すくき》買んせんか」など、賣聲適に上京したるもの解《げ》すべからず。京都の人大坂へ下らば物賣聲《ものうりこゑ》さぞ解せぬ物多からん。

東都の人の口にかくれば京も大坂もひとつ國の様に心得居る其京と大坂の者の言語いか程か物の唱へも違はゞこそ、三十石の乘合毎度此論を聞ことなりされ共、京の者の物静《ものしづか》にそろ/\と大坂をなぐる、又大坂者ハ頭に血多く口やかましく大音にて詈るゆゑ、先大坂者が云ひ勝た様に聞ゆるなり。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9


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