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1187-03-18

唐物語楊貴妃 唐物語・楊貴妃 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・楊貴妃 - 国語史資料の連関 唐物語・楊貴妃 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

昔唐の玄宗と申しける帝の御時、世の中めでたく治まりて吹く風も枝をならさず。降る雨も時を違へざりければ、皆人天の下おだしきに誇りて、花を惜み月を弄ぶより外のいとなみなし。帝も色にめで香にのみ耽り給へる御心のひまなきにや、萬をば楊國忠と聞ゆる人に任せて、やうやくみつからの政怠らせ給ひにけり。これよりさきに、元獻皇后武淑妃など聞え給ひし后、世にならびなく御志深くおはしましき。それはかなくならせ給ひて後は、數多の中に御心に叶ひたる人おはせざりき。これにより高力士に仰せられて、都のほかまで尋ねもとめさせ給ふに、楊家の娘を得たまひてけり。そのかたち秋の月の山の端より高く昇る心ちして、そのいきざしは夏の池に紅のはちす始めて開けたるにやと見ゆ。一度笑めぱ百の媚なりて人の心惑ひぬべし。すべてこの世の人にはあらす。唯天人などの暫し天降れるとそ見えける。かゝりければうへ内裏のうちに忽にいでゆを掘らせこの人にあむさせ給ふ。湯より出でたる姿誠に心苦しく、うすものゝころも猶重げになむ見えける。色ざし歩み出で給へるけしきかろびたるもんから、気高く愛々しくて、さすがにまた思ふ所あるやうにふるまひたまへり。上これを見給ふ度に、嬉しく喜ばしく思さるゝ事たぐひなし。唯みめかたちの人に勝れしわざ有様の世にならびなきのみにあらす。萬につきて暗からす、事に觸れて情深くなむ物し給ひける。又上の御心の中に思せることをぱ、さながらそらに知りてふるまひ給ひければ、限なき御志をも世の人ことわりと思へり。同じ車一つゆかにあらねば、みゆきしいね給ふことなし。三千人の女御后、我も我もと侍ひ給へど、御目のつてにだにかけ給ばす。唯この人をのみぞ、月日に添へて類ひなきものにおぼしける。又驪山宮にみゆきし給ひては、霓裳羽衣の舞を奏せさせ給ふ。舞の袖風に飜る度に玉のかざり庭に落ち積りて極樂世界の瑠璃の池もかくやあらむと覺えたり。大凡驪山宮の秋の夕に心をとめぬ人なし。春ははるのあそびに隨ひ、夜はよの短きことを歎き給ひける。かくてよもすがらひめもすに時をわかす、これより外の御いとなみなかりければ、國の政のすみ濁れるをもさとり給はざりけり。すべてこの楊貴妃のはぐゝみによりて、世の苦しき事を忘れつゝ、誇り驕れる人その數をしらす。又天下の人高きも卑しきも、心に違はじと思へるけしきなぺてならす。見る人聞く人羨みめつるさま言ひ盡すべからす。これによりて女子を産めるものば悦びかしづきて、かゝるたぐひを心にかけゝるもをこがましくこそ。又帝の御弟に寧王と申す人、御傍をはなれす、ま近くゆかを並べて夜晝をわかぬ御遊にも必ず侍ひ給ひけり。この親王玉の笛を帳の内に隱し置かせ給へりけるを、楊貴妃取りて何となく吹きならし給ふ。帝これを御覽じつけて、「玉の笛はあるじにあらすして吹く事なし。然るを志の重きに誇りて禮を過てり。事のみだれにはあらすや」と、殊の外に御氣色變りにけり。これによりて楊貴妃、痛み思す心や深かりけむ、鬢の髪一房を切りて帝に奉り給ひ「我が身の膚へ頭の髮ならでは皆これ君の賜にあらずや。然るを我今御心に背きぬれば罪に伏してをこたりを申すべし」となくなく聞えさせ給ふに、御使もいとはしたなきまで覺えつゝこのよしを奏するに、御心もありて、物も覺えさせ給はすながら、時のまに召し返して世に猶類ひなくもある心ばせかなと思し續くるに、御志の深さ日比には過ぎにけり。初秋の七日の夕、驪山宮にみゆきし給ひて、たなばたひこぽしの絶えぬ契を羨みてはかなきこの世の別れ易きことをぞ、かねて歎き給ひける。かたちは六つの道にかはるとも、あひ見むことは絶ゆる時あらじと契らせ給ひて、

 「すがたこそはかなき世々にかはるとも契は朽ちぬものとこそ聞け」などのたまひつゝ御手を取りかはして涙を流し給ひけるを、末の世に聞く人さへ袖の上つゆけし。かくて年月を送らせ給ふに、右大臣楊國忠、楊貴妃のせうとにて世の政を取れりけれど、人の心にそむく事多く積りにければ、世の中いきどほり深くなりぬ。そのなかに楊貴妃の養子に左大臣安禄山と聞ゆる人いきほひを爭ひて、心の中いきどほり深けれども、これをあやむる人更になし。これによりて忽につはもの十五萬人集めて遂に楊國忠を亡すに、世の中亂れて騷ぎ罵りあへり。百敷の内までもそのおそれ深けれは、帝ほかに逃げさせ給ふ。東宮楊貴妃御傍にさぶらひ給ふ。楊國忠、高力士、陳玄禮、韋見素又御供に侍り。かくて蜀といふ國へ退かせ給ふに、いかならむ野の末山の中なりとも、この人とだに二人あらば生けらむ限り思ふ事あらじと思さるゝに、人の氣色思はすに變りてはしたなく見えければ、帝あやしみて問はせたまふ。陳玄といふ人、東宮に申していはく、「早く楊國忠政を亂り人の心を破るゆゑに、君も今日この事にあはせ紛ひぬれば君の御敵世の仇にあらすや。しかじ、唯楊國忠をうしなひて人の愁をやすめむには」と聞えさす。東宮これを聽し給ふにより、楊國忠目の前にはかなくなりぬ。帝あさましくはかなく思されながら、この後ゆかむとし給ふに、つはものども立ちまはりつゝ「亂れの根や猶あり」と申して快からぬ氣色ありけり。この時に上、楊貴妃の免かるまじき事をしらせ【さとりイ】給ひにければ、御顏に袖を掩ひてともかくも聞えさする事なし。かゝる程に、この世に楊貴妃、いかならむ巖のなかなりとも覺束なからぬ御すまひならばいと心苦しからす思しけるに、思の外に命も絶えぬべきにやと、淺からぬ別れの涙、千しほの紅よりも猶色深くてせむかたなく見え給ひながら、猶々帝に目をかけ奉り給ひて、かくれさせ給ふまで顧み給へる御有様何に譬ふペしとも見えす。撫子の露にぬれたるよりもらうたく、青柳の風にしたがへるよりもなよらかに、太液の芙蓉未央の柳に通ひ給へるをしも、情なく道のほとりの寺の中にして、ねりぎぬを御頸に引きまとひつゝ遂にはかなくなし奉りつ。物の哀を知らぬ草木までも色かはり、情なき鳥けだものさへ涙を流せり。

 「ものごとにからはぬ色ぞなかりける緑の空も四方のこすゑも」。御供に侍ふ人、心あるも心なきも、猛きも猛からぬも、皆涙におぼれて行きがたも知らず。又帝の御心のうちには、

 「何せむに玉のうてなを磨きけむ野邊こそつひのやどりなりけれ」。唯御袖の下より紅の涙ぞ流れける。御心迷ひにや、馬の上も危く見えさせたまへば、人々うらうへに添ひ奉りて、やうやう行かせ給ふに、つはものども糧盡き力疲れて、帝に隨ひ奉らむ事二心なきにあらねば、陳玄禮も留むべき心ちせす。かゝるほどに益州といふ國よりみつぎ物數しらず運べりけるを、御前に積み置かせて、さぶらふ人々に別ち賜はせてのたまはく、「我政のすみ濁れるを知らざりしより、今日このみだれにあへり。我が身一つによりて去り難き親はらからにも別れ、二つなき命をも捨てゝ猶我に隨へり。我又いは木ならねばあはれむ心ふかし。早くこの物を賜う【う衍歟】て、おのおの故郷へ歸りね」とのたまはする御袖の上秋の草葉よりもつゆけく見ゆ。この御事を承るもの皆涙をおさへて申していはく、「命の終らむまでは、唯君に隨ひ奉るべし」。かくて日も夕暮になるほどに、傍寂しきにつけても、いかなる中有の族の空に、ひとりや暗に綾よふらむなど、おぼし亂れたる心苦しさ、哀に悲しなどいふもおろかなり。夜もやうやう明方になりぬれば、出で行かせ給ふに、有朋の月西にかたぶく程、雲ゐ遥に鳴き渡るかりがねを聞かせ給ふにも、御心のうちかきくらされていづ方へ行くともおぼされず。蜀山といふ山さかしく【はげしくイ】て、とだえがちなる雲のかけはし歩み渡らせ給ふ御氣色、よそめにだに猶忍びがたし。ものゝつかさ人かず衰へ、いきほひいかめしかりし旗などさへ、雨に濡れ露にしをれてその物とも見えず。御供に侍ふ人々、何事につけても物心細くおぼえて、鳥の聲もせぬ深山に、假の宮いとあやしきさまなり。月の影より外に光なき心ちのみして、あるにもあらすあさましき程なれど、所につけたる御すまひは樣かはりて、かゝらぬ折ならばをかしくもありぬべし。これにつけても、九重の錦の帳の内の玉の床の上に、枕をならぺ衣をへだてざりしむかしは、我何事を思ひけむなど思されけるも、誠にことわりなり。かゝるほどに、東宮は讓をうけて位につかせ給ひぬ。あしき心あるものを失ひぬ。世の中をしづめて、太上天皇を迎へ取り奉らせ給ふ。まぢかく内裏をならべて、萬を申し合せつゝ御政あるべしと聞えさせ給へどこの御思ひのあまりにさるべき事とも思されず。世もたひらる【ぎ歟】御心もしづまりて後は、御歎もわくかたなく一筋になりぬ。時遷り事をはり、たのしび盡きかなしみ來たる。池のはちす夏ひらけ、庭の木の葉秋落つるごとに、御心の慰めがたさ、類ひなく思されける時は、はかなく別れにし野邊に幸せさせ給ひけれど、淺茅が原に風うち吹きて、夕の露玉と散るを御覽じても、消え入りぬべくぞおぼしける。

 「もろともに重ねし抽も朽ちはてゝいつれの野邊の露結ぶらむ」。かやうにおもひつゝ【九字斯の如くおぼしつゞけてイ】、涙をおさへて立ち

 「別れにし道のほとりにたづね來てかへさは胸にまかせてぞ行く」。春の風に花の開くる朝、秋の雨に木の葉散る夕、宮のうち哀に寂しくて、いろいろの草の花、庭の面に咲き亂れたり。又色々紅葉の錦、階の上に紅深く見ゆ。昔の楊貴妃のま近く使ひ給ひし女房など、月くまなき夜は、昔を戀ふる涙にむせびつゝ、こと【きんイ】を調べ琵琶を弾き【五字ことかきならしイ】けるにも、いとゞ御袖の上ひまなく見ゆる心苦しさ、よその袂までもせきかぬる心ちす。忘れてもまどろませ給ふ時なければ【七字給はねばイ】夢の中【二字イ無】あひ見給ふ事はありがたし。夜の蟋蟀枕にすだく聲にも御涙まさり、夕の螢の汀に渡る【四字イ無】思ひにも消え入りぬぺく思されけり。壁に背けるのこりの燈火光かすかにて、朝夕もろともに起き臥し給ひしとこの上も塵積りつゝ、ふるき枕ふるき衾空しくて御傍にあれども、誰と共にか御身にも觸れさせ給ふべき。かくて二年ばかりにもなりぬれば、まぼろしといふ仙人參りて、「我が君の御心に、楊貴妃を思せる事の限なきそこを知れるゆゑに、六つの道覺束なき所なし。願はくは生れたまひつらむ所をたつね見て歸り參らむ」と聞えさするに、嬉しく思さるゝ事限なくて、御物思ひ忽にをこたりぬ。この時まぼろし空に昇り地に入りて、到らぬ所なく求むるに、そのしるしなし。雲に乘りつゝ猶東ざまに飛び行くに、わたつみのなかにいと高き山あり。その上に玉の臺こがねの殿ども軒を列べ薨を連ねたるよそほひ有樣、凡てこの世の類ひにあらす。又そのうちに仙女數多遊び戯ぶる。此の所に行き向ひて、玉【花イ】の戸ざしを打ち叩くに、いひ知らす、この世ならぬ人出でゝまぼろしに逢へり。「楊貴妃の生れ給へる蓬莱宮これなり」といふを聞くに、嬉しさ限なくて、「唐の玄宗の御使なり」と聞えさす。「楊貴妃唯今いね給へり。あしたを待つぺし」といひて歸り入りぬる後、心もとなくて一人立てり。夕の嵐音なくて波の上遥に入日さすほど、折からにや哀に心ぼそし。かくて夜もやうやう半過ぐる程に、花のとぽそに白露ひまなくおけるを見て、

 「明けやらぬ花のとぼその露けさにあやなく袖のそぽち【しをれイ】ぬるかな」。かゝる程に、夜も明け日も出でぬれば、楊貴妃出で給へり。こがねの簪ひかりあざやかに、玉のかざり目も赫く程なりまぼろしにあひ向ひて、暫しは詞に出し給はす。まつ落つる涙をぞ所せげにおぽさる。方士も袖の雫ひまなくて、やゝ久しくなる程に、楊貴妃のたまはく、「天寶十四年よりてのかた今日に至るまで、帝の御心の中を思ひやるに、なやましく苦しき事限なし。かばかりたへなる所に生れたれど、契の深きによりて猶我がうき名を留めし故郷のみ心にかゝれる。朝夕なれし里を見おろせど、徒に雲霧のみ隔てゝ見る晴間なし」など、きさまざまにのたまはする有樣、猶霓裳羽衣の舞にぞ似給へる。方士、帝の御心を知れりければ、ありのまゝに聞えさせつ。互に心のいぶせさをはるけて、方士かへりなむとするに、楊貴妃こがねの簪を折りつゝ、「我が物とて帝に奉れ」との給はす。方士これを取りて事淺くや思ひけむ、「こがねの簪は琶の中に類ひなきものにもあらす。そのかみ定めて人知れぬ御契ありけむものを、願はくは承りて奏せしめむ」といふに、楊貴妃氣色かはり、涙まさりて思し亂るゝことありと見ゆ。

「昔天寳十年の秋七月七日、驪山の宮に侍りし時、たなぱたひこぼしのあひ見る夕、長生殿の内音なくて、夜はのけしき物哀なりしに、帝我に立ち添ひてのたまひき。天にあらば羽をかはす鳥となり、地にあらば枝をかはす木とならむと。これ君より外に又知る人なし。この契り限なきによりて、必す下界に生れて、定めて二度あひ見て、むつましき事ふるきが如くならむ。我この事をかねて知れり。思へばしかも悲しく、思へば又嬉しからずや」など聞えさせ給ふ御有樣にも忍ぴ難き御心の中顯れて、馬嵬の道のほとりに、今は限と見え給ひし夕の怨も、猶今のやうにおぽさる【】氣色、誠に梨花一枝春の雨をおびたり。

 「光さす玉のかほばせしほたれてなほそのかみの心ちこそすれ」。方士かへり參りて、このよしを奏せしむるに、御心日を經て惱みまさりつゝ、生れ給はむほどをも、猶心もとなくや思しけむ、その年の夏四月に、みつから【みづからも歟】はかなくならせ給ひにけり。

 「知らざりし玉のありかを聞き得てぞ夜はのけぶりと君もなりにし」。これ一人君のみにあらす。人と生れて石木ならねば、皆おのつから情あり。古より今に至るまで、高きも卑しきもかしこきもはかなきも、この道に入らぬ人はなし。入りとし入りぬれば迷はすといふ事なし。しかじ唯心を動す色にあはざらむには。大凡樂み榮えもうきもつらきも、この世ぱ皆夢幻の如し。八つの苦み遁るゝ事なければ、厭ひても厭ふぺし。天上の樂み限なけれども、五つの衰へさとる事なければ、願ふべきにも足らす、生れてもよしなし。しかじ唯心を一つにして三界を厭ひて九品を願ふぺし。極樂を願ふともこの世に執をとゞめば、纜を解かすして船を出さむが如し。この世を厭ふとも極樂を願はすば、ながえをそむけて車を走らしめむが如し。この世をも厭ひ極樂をも願はゞ、苦みを集めたる海を渡りて樂みを極めたる國に到らむ事は疑ふべからず、ゆめゆめ出で難き惡道【地イ】に歸らずして、行き易き淨土にいたるべし。

国文大観