国語史資料の連関

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1187-03-19

唐物語・朱買臣 唐物語・朱買臣 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・朱買臣 - 国語史資料の連関 唐物語・朱買臣 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

むかし、朱買臣、會稽といふ所に住みけり。世に貧しくてわりなくてせむかたなかりけれど、文讀み物學ぶ事夜晝怠らす。そのひまにはたきゞをこりて、世を渡るはかうごとをしけり。かくて年月を經るに、あひ具したりける女、限なく貧しきすまひを堪へ難くや思ひけむ、「我も人もあらぬさまになりて世を試みむ」など、こまやかにうち語らひければ、「かくてしもやありはつべき。猶今年ばかりは心強くあひ念ぜよ」と、萬にこしらへけれども、終に聞かでその年の内に離れにけり。男戀ひ悲めども、いふかひなくて次の年にもなりぬるに、この人のざえ才學世に勝れたる事を、帝聞かせ給ひて、その國の守になされぬ。始めて國に下りけるありさま心詞も及はずめでたかりけり。かゝれども猶ありし妻のことを心にかけて、一國の内を尋ね求めさすれども、似たる人なくて明し暮すに、野に出でゝ狩し遊びける時、事もなのめならす怪しく侘しげなる賎の女がかたみといふものを臂にかけて菜を摘みてゐざりありくを、ゆゝしげのものゝ有樣やと見る程に、我が昔のともと見なしてけり。猶僻見にやと目を留めて見るに、いかにも違ふ所なかりければ、人知れす悲しく覺えて、くるゝや遲きと呼びとりてけり。女、我過つ事もなきに、いかなる事にか當りなむずらむと恐れ惑ひけれど、ありし昔の事などをこまやかに語らひければ、女あましく覺えて、このをとこをうち見るよりいかゞ思ひけむ、いたく惱み煩ひて曉がたに絶え入りにけり。

 「もろともに錦を着てやかへらましうきにだへたる心なりせば」。心短きは、何事につけても口惜しき事にこそ。錦をきて故郷に歸るとは、この人のことなり。

国文大観