国語史資料の連関

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1187-03-20

唐物語・程嬰 唐物語・程嬰 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・程嬰 - 国語史資料の連関 唐物語・程嬰 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

昔、晋の景公といふ人おはしけり。そのつかはれ人趙朔、國の政を取れり。また屠岸賈といふ人、爭ふ心やありけむ、やゝもすればこの趙朔を退けむと思ふ心深くて、とがをもとめ、なき事を言ひつげて、罪に行はるべきよしを、あるじに言ひけれども、用ゐられざりければ、心中にいきどほり深くて明し暮すに猶やすめ難くや覺えけむ、趙朔をはじめとして、兄弟さながら滅し失ひてけり。そのなかに年比相具したりける妻なむ一人この事にまぬかれにける。折しも唯ならぬ事さへありて、隱れ惑ふにつけてもわりなく悲しかりけるを、杵臼程嬰といふ二人の使はれ人、あるじを思ふ心深かりければ人知れず隱し育みて、若し生れたらむ子をのこ子ならば、親の敵をも思ひ知りなむ、唯いかにもして事なく人とならむ事を思ひ計らひけるを、敵もれ聞きて、めざましくなむ覺えければ、猶尋ね求めてもその跡を滅し失はむと思へりけり。これによりて、この女隱れ惑ひながら、本意の如くをのこ子を生みてけり。杵臼程嬰限なく嬉しく思ひけるにも、わりなくして、手づから自ら隱し忍びつゝ養へりける程に、この敵の屠岸賈、この事を聞きつけてあながちにあさり求めけり。母の心にせむかたなく覺えながら、きたりける袴のなかにこの子を入れて教へていはく「親の跡を繼ぎて君にも仕へ奉るべきものならば、物の心を知らずいとけなしといふとも、聲を立てゝ泣くことなかれ」、若し又この時に當りて、子孫長く絶ゆべきものならば、早く泣くべしと心の中に思ひつゝ、深く隱れ居たるに、本意の如くおとなかりければ、敵求めかねて歸りぬ。母の心によろこび深し。然れどもこのうれへにおきては、絶ゆる時あるべからずと歎き侘びつゝ、程嬰に杵臼語ひていはく、「この子を事なく養ひ立てゝ、父のあとを繼がせむと命を捨てむ、いづれか難かるべき。程嬰答へて曰く「死なむは易し。たひらかに養ひ立てむ事はいと難し」といふに、杵臼がいはく「恩の深き事は君我に勝れりき。易きにつけて我まづ死なば、その後難き事を遂げて、必す仇を報い給へ」と言ひつゝ、をさなき兒を一人抱きて深き山の中に隱れ居たり。程嬰敵に告げて僞りていはく「我求め給へる子のあり所を知れり。願はくはこがね千兩を賜ひて、教へ奉らむ」といへるを敵喜び騷ぎて、忽にこがね千兩を與へつ。をこがましくは覺えながらしるべしてこの所に行き向へるに、杵臼子をうち抱きて、あきれたる氣色にて居たり。敵これを見て、いつしか殺さむとするに、杵臼叫びていはく「愚かなるかな釋嬰昔の恩を忘れて諸共に人となさずといひとも、いかでか千々のこがねに耽りて一人の子をば殺すべき。今は我を失はむことは、そのいはれなきにあらず。いとけなき子におきては何の罪かはあるべき。願はくは生けよ」とさけびけれど、忽に二人ながら殺しつ。その後まことの子をば程嬰とりて山の中に隱せり。年月経れども、敵疑ふ心なければ、又そのわづらひなくて十五年になりぬ。その後主人病に煩ひ給ひていと大事におはしけり。この事を占はしめ給ふに、罪なくして罪を蒙ぶれる人の祟と卜ひ申しけり。「趙朔を滅すことは、またく我が心より起らず唯屠岸賈みづからのいきどほりによりて、世をなきにしなしてふるまへる故に、我今この病を受けたり。天の下にあるじとしてあるまじき事をする者を退けぬは、もはら我が咎なり。然ればいかなる事をしてか、この病をやむべき」とのたまふに、韓厥といふ人、萬に暗き事なかりければ、計ひ申していはく、「趙朔が後をつがせ給ふべし。十五になる子一人たひらかにて侍り。事の有樣をばこまかに知らせ給はすや」と申しけり。あさましと思して、忽に召し取りて見給ふに、昔はかなくなりし親に露ばかりも違はず似たりけるを、哀にいみじくおぼして、いつしか父の跡を繼がせ、つかさくらゐ身にあまる程になりてのち、本意の如く親のかたきを滅し失ひつ。さるべきにやありけむ、何事につけても世に用ゐられ人に恥ぢられで二十にもなりぬれば、程嬰心安くおぼえけり。かくて後、このあるじにいとまをこひていはく「我は早く死に侍りなむ」といふ時に、あるじ物覺えず心あわてゝ「こはいかに」といふに、程嬰がいはく「我昔杵臼に誓ひき。安きにつけてまづ死なば、我は恩の深きによりて、難き事を遂げて後必ず報ゆべしと申しき。然るを我今死なすば、杵臼に空だのめするにあらずや。賢き人は言ひつる事を違へず」とばかりいひて、遂に我が身を刺し殺しつ。この時にあるじあやなくおぼえて、かゝる事を見ながら、世にあらむ事は恥なりと覺えけれど、空しく父の跡をたえむ事は本意ならず覺えければ、命を棄てすして藤の衣をぞ三年まで脱がざりける。歎き悲しむ事年月を經れども、更にをこたらざりけり。

 「思ひ知る心はたれも深けれどかゝるためしばまたもあらじな」。このつかはれ人二人が後の事より外のいとなみなかりけるも誠にことわりなり。あるじの名をば趙武とそいひける。

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