国語史資料の連関

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1187-03-17

唐物語呂后 唐物語・呂后 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・呂后 - 国語史資料の連関 唐物語・呂后 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

むかし漢の高祖と申す帝おはしけり。呂后と聞え給ふ后、東宮の母にて誰よりも御志重く見えさせ給ひけり。ほか腹の親王趙の隱王と申す人を御志のあまりにや、帝も東宮に立てむと思しける御氣色を呂后見給ひて、あさましう心憂き事に思して、陳平張良と聞ゆる二人の臣下を召し寄せて、「かゝるいみじき事なむある。いかにしてかこの怨をやすむべき」との給ひ合するを、げにとや思ひけむ「叶はざらむまでも計らひ侍るべし」と答へて還りぬ。又この後二人の人も、世の中の亂れなむずる事をも思ひ歎きて、おのおの謀事をめぐらしてけり。商山といふ山に世を遁れつゝ、帝の召すにも參らで籠り居たる賢人四人あり。それをこしらへ出してこの惠太子に附け奉りたらば、さりとも耻づる心おはしなむものをと思ひよりて、この山の中に尋ね行きにけり。四人の人、うち見つゝ驚きていはく「何事により、いとかく怪しげなるすみかには渡り給へるにか」と聞えさするに、「世の中亂れむと仕うまつれば、我等が身までもなげき深くてこの山に隱れ居むと思ふ心侍り。しかれども世の中の亡治らざらむ事は唯その御心なり」といへるに、この人うち笑ひて、「君も我に耻ぢ給はむ事いとありがたかるべけれど、空しうかへし奉らむもむげに情なきやうなれば、後の事を顧みず今日ばかりは御送に參るべし」といヘりければ、限なく嬉しく覺えて四人の人を具しつゝ、東宮の御許へ參りぬ。忽に學士といふつかさになりてふるまひ給ふべき有樣など、こまやかに教へ奉るに、たのもしく思さるゝ事限なし。かくて年立ちかへる春のあした、東宮うちに參り給へる御供に、この人ども四人いとやうやうしくふるまひ、氣高きさまにて御供に侍りけるを、帝より始めて仕うまつる人どもゝ各怪しげに思へり。帝「これは誰にか」と尋ね問はせ給ふに、御もとに侍ひける人申していはく、「日比めしつる商山の四皓に侍り」と申しけるに、御心も臆せられてあ萋しくぞ思されける。これによりて帝、四皓に問ひてのたまはく、「我昔より汝に國の政を任せむと思へりしかどもあへて行ばざりき。然るをいま年わかくいとけなき東宮に隨へる心知りがたし」。四皓申していはく「君は御心賢くて、世の中を平げ國を治め給へども、人をあなづり賢きをも輕め給ふ過ちおはします。東宮は若くおはすれども、御心おきて情ふかく禮義を正しくし給ふと聞え侍るによりて、參り仕うまつれり」と聞えさせければ、東宮は我よりも心賢きにやと思して、この事を思ひ留まらせ給ひにけり。かゝればゝ呂后陳平張良より始めて、世にある人々さながら心安くなりにけり。この趙隱王の母に戚夫人と聞ゆる人は、帝を怨みそねみ奉り給ひけるを、呂后いやまして心憂き事にぞ思しける。かゝる程に帝はかなくなりたまひにければ、東宮位に即きて萬御心に任せたりけれども、呂后年比の御いきどほりにや、いつしか戚夫人を捕へて髪をそりかたちをやつして、あさましく心憂きさまになし給ひつるを、帝「かゝらで侍りなむ。この事定めて先帝の御心に背くらむ」などさまざまに諌め奉り給へども、いかにもかなはざりければ、心苦しく思しつゝ過ぐし給ふに、この趙隱王さへ失はむとしたまひければ、帝夜も晝も御傍に放たず起き臥し給ひけり。后ひまなき事を安からずおぼして、毒入れたる酒をこの人に進め給ひけり。帝心得て、「まづ我に」とのたまひければ、あわてゝ取りかへしつ。かやうに人知れずもごろにし給ひけれどいかなるひまかありけむ、類ひなく力強き女房二三人ばかりを遣して、帝の御傍に臥し給へる人を情なくつかみ殺してけり。上あさましくは思しながら、いふかひなくて止みにけり。さてこの戚夫人月隈なかりける夜、心憂く悲しきにつけても昔の有樣や思ひ出でられけむ、そのよしの詩を何となく口すさび給ひける。耳口ありけるものゝこれを聞き咎めて、「かゝる事なむ侍る」と呂后に申したりけるに、今ひとしほのにくさまさりて、足手を斬りつゝそのむくろには漆を塗りて世に汚はしく穢き溝に浸して置かれたる有樣の、その物とも見えず哀に悲しげなり。その後こはきものゝけになりて程なく呂后を取り殺し奉りけり。これよりさきに商山の四皓は帝の御有樣を心易く見なし奉りて後、暇を申してもとのすみかに還りぬるを、世の人たとへをとりて譽めていはく「世の中旱にあひて草木も枯れ土さへ裂けて人の命も絶えぬべきに、一度雨降りつゝ、四方の梢をうるほし門田の稻葉も露繁く結び居ぬる後、八重の雨雲山に歸り入るなるべし」となむ言ひけるこそ誠にさもと覺ゆれ。又周文王と申しける帝の御時、太公望と聞ゆる賢人帝に召し出されて後、つかさ位身に餘れるに喜びて歸る思ひなかりけり。堯と申す帝許由に位を讓らむとて三度まで召しけるを、「穢き事を聞きつ」といひて穎水といふ川に耳を洗ひけるも、いかなる事にかとをかしきやうに聞ゆ。又巣父といふ人牛を追ひてこの川を渡らむむとするに、「穢き事聞きて耳洗ひたる流にしもけがるべきかは」とて、遙によけて通りけむもをこがましくこそ覺ゆれ。又水汲むひさごを一つ竹の編戸にうち懸けたりけむが、風の吹く度に戸に當りつゝ鳴りけるをさへ、「うるさし」といひて忽に割り捨てゝけり。これ等を聞くにもげにとも覺えぬに、この商山の四皓は情あり、人を助くる心も深くて、誰よりも世のつねびたるやうにこそ覺ゆれ。

 「いさぎよく耳をあらひし川水をけがらはしとは誰かいひけむ」。

国文大観