国語史資料の連関

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1187-03-16

唐物語西王母 唐物語・西王母 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・西王母 - 国語史資料の連関 唐物語・西王母 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

昔、おなじ帝、誰とは申しながら、限なくこの世を惜み、命ながらへむ事をねがひ給ひけり。まぼろしといふ仙人に仰せて蓬莱不死の藥とりに遣しつゝ、はかなき御遊び戯ぶれにもこの世にながらへておはせむ事をぞ營み給ひける。おほよそ人の好み願ふ事は必ず空しからねば、この御時に當りて東方朔といふ人、仙宮より罪を犯して暫らく人間に下されたりけるを、帝まぢかく召し使ひて萬覺束なく思されける事をば、まづこの人にぞ問はせ給ひける。かゝるほどに宮の内に色黄なる雀の例の鳥にも似ず、怪しきさましたる飛び遊びけるを、帝「日頃かゝる鳥見えず。いかなる事にか」と問ひ給ふに、東方朔がいはく、「君長生不死の道を好み給ふにより御志にめでゝ、西王母と申す仙女參りて遊び奉らむと告げ知らするよしの使なり」と聞えさするに、帝嬉しく思して、「いかなる有樣にてその人を待つべきぞ」とのたまはするに、「宮の中しづかにて庭の面をきよめ香をたき、樣々のゆかを設け給ふべし」と申しけり。かくてたのめしほどにもなりぬれば、帝御心すみて、ゆかのもとに東方朔を隱し置きて、人知れず今や今やと待たせ給ふに、秋八月ばかりの月の光くまなき夜、かうばしき風うち吹きて晴の空のどかなるに紫の雲一村たなびけり。そのなかよりこの世ならず目もあやなる人百人ばかりおり降れり。そのうちにあるじと覺しき人、帝にあひ奉りて樣々の事どもを聞えさす。やゝ久しくなる程に、この人桃七つを取り出して、その三つをば帝に奉らせ給へり。これを御口にふれ給ひけるより、御身も輕く御心ちも凉しくならせ給ひて空にも飛び昇りぬべく、生死の罪障も解けぬべくや思しけむ、「この桃我が園に移し植ゑて種をも取りてしがな」とのたまひけるに、西王母うち笑ひて、天上のこのみの、人間にとゞまり難くやとなむ言ふにも堪へずげに思せり。又「不死の藥や侍る」と尋ねさせ給ふにも、「生老病死の下界に生れ給ひながらいかでか不死の藥を求めさせ給ふべき。はかなき御心なり」と聞えさす。西王母のみにあらずかひなきおろかなる心にも、賢き聖の帝の御心とは覺えず。かくてしばしばかりあるに上元夫人に雲環の瑟うたせて舉妃瓊と聞ゆる仙人舞ひけり。玉の簪を動かし錦の袖を飜す有樣めぐる雪にことならず。帝これを見給ふに、おもほえず御袖濡れにけり。すべてこの世の樂の聲は物の數ならず覺え給ひけるより、御心もいたくあくがれぬ。夜やうやう明がたになる程に、「その御ゆかの下にかくれ居て侍りける東方朔は仙宮の人なり。然れどもその三千とせに一度なる桃を三度まで盜める罪によりて、しばらく人間に下されたるとがをあがひて後は、又天上に還りきたるべきなり」とのたまひて、紫の雲立ち返りゆきしより、御心はそらにあくがれにけり。

 「紫の雲のゆかりをいかなればたちおくるべき心ちせざらむ」。この後はいとゞ御心も空にあくがれて、いよいよ仙を願ひ給ひけり。唐國のならひにてかしこき帝には、仙人なども皆使はれ奉るにこそ。はかなくならせ給ひて後も御身はとゞまらせ給はざりけるとかや。

国文大観