国語史資料の連関

国語史グループにあったブログ

1187-03-15

唐物語・李夫人 唐物語・李夫人 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 唐物語・李夫人 - 国語史資料の連関 唐物語・李夫人 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

むかし、漢の武帝、李夫人はかなくなりて後思ぴ歎かせ給ふ事年月を經れども更にをこたり給はす。そのかみ病せし時みゆきし給ひしかども、いかにも見え奉らざりけり。帝あやしとおぽしてこのよしを問はせ給ふに、「我君に慣れ仕うまつりし程、露ちり氣色に違ひ奉らざりき。又御志淺からねぱ恨をのぶることもなし。しかれども病に沈みかたち變りて後、御心に背く罪あるぺけれども又思ふ所なきにあらす。紫の草のゆかりまで惠み給ひあはれみを蒙ぶる事は唯君の御志の改らざる程なり。しかるを今のかたちに昔の御心變りなば、はかなきあとにも愁の涙色まさらむ事を思ふに、衰へたる姿いと見え奉らまうし」と聞えさす。帝これを聞かせ給ふに悲しくわりなくおぼさる。たとひ夜はのけぶりと立ち昇るともいかでそのゆかりを懐かしと思はざらむ。唯この世にて今一度あひ見るべきことをしひてのたまはすれども、遂に聞かではかなくなりにければ、帝御心にうらみふかく甘泉殿のうちに昔の姿をうつして朝夕に守り給ひけれど、物言ひ笑む事なければ徒に御心のみ疲れにけり。

 「繪に書ける姿ばかりの悲しきは問へどこたへぬなげきなりけり」。又なき人の魂を反す香をたきてよもすがら待たせ給ふに九重の錦の帳の内かすかにて、夜のともし火の影ほのかなるにやうやくさよ更け行く程、嵐すさまじく夜静なるに、反魂香のしるしあるにやと思し給ひけれど、李夫人のかたちあるにもあらず、なきにもあらず、夢幻泡影の如くまがひて束の間に消え失せぬ。待つこと久しけれど還る事はぬばたまの髪すぢ切る程ばかりなり。燈火をそむけて帳を隔てゝ物言ひ答ふる事なければ、なかなか御心をくだくつまとそなりにける。

国文大観