国語史資料の連関

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2012-03-30

日本語を使ひたがらぬ日本人原口統太郎『支那人に接する心得』「下手な支那語は使ふな」) 日本語を使ひたがらぬ日本人([[原口統太郎『支那人に接する心得』]]「下手な支那語は使ふな」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 日本語を使ひたがらぬ日本人([[原口統太郎『支那人に接する心得』]]「下手な支那語は使ふな」) - 国語史資料の連関 日本語を使ひたがらぬ日本人([[原口統太郎『支那人に接する心得』]]「下手な支那語は使ふな」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 当時自分は一の奇現象を発見した。戦敗の民支那人に向つて、各国兵が皆自国語を以て解つても解らなくても押通したのに、ひとり日本兵のみは、なるべく日本語を用ひようとせず、務めて分りもしない聴きかじりの支那語を使ふ者ばかりであつた。自分はこれを見て、日本人の不見識につく/\情なかつた。日本人は何故に、かく日本語を重んぜぬのだらうか。自尊心の薄弱なこと夥しい。日本兵は初めて国際上に出た、白面のお坊ちやんだなあと、各国兵の間に挟まつて身の引ける思ひをしたのである。

 この日本語を使ひたがらぬ日本人の習慣は、今以て満洲でも継続してゐる。満洲に行つて見るがよい、多数の日本人日本人の作つた一種変挺古な支那語、「ニーヤポコペン」といふやうな言葉支那人と盛に話を交へてゐる。左に記す日満チヤンポンの言葉は面自いその一例である。

 我的《ウオテ》が|昨天你呀《ツオテンニーヤ》に今天快快的来《チンテンコワイコワイテライ》と説話《シヨホワ》したのに你呀《ニーヤ》が慢慢的来《マンマンテライ》だから不轂本《ポコペン》ぢやないか

 こんなのは自然の現象かも知れぬ。然し、日本人の不見識、卑屈さ加減余りに酷いと思ふ。かかる下卑た変挺古なチヤンボン語で話しかけて相手支那人が吾々を尊敬するであらうか。これで日本人の威厳を保つことが出来るであらうか。分り切つたことである。然るに、反対に意外なことには、支那人が吾々に向つて話す時はどうであるか。彼等はなるべく日本語を使はない。徹頭徹尾自国語支那語で通してゐるのである。一から十まで支那人に対して優越感を持つてゐる日本人が、国語を使ふことだけは何故にかく卑屈であるのだらうか。不可解に堪へぬ。乙の問も或軍人に会ったら、「ニーヤ」といふ支那語は使つちやいけないのですかとの質問を受けた。我輩答へて曰く、支那人から君と呼びかけられてよい感じがしますか、「ニーヤ」といふ言葉はその日本語の君より、まだ下卑た言葉です。あなたは何の必要があって生噛りの支那語を使はねばならぬか。日本語でなぜ話さないのかと答へたやうな次第である。

 又、これは支那通の一民団長の話であつたが、或日本の総領事の令夫人が官舎に使ってゐる支那ボーイに向つて、「チャンコイ、まだ帰らないか」といふのを聞いて、偶々支那語の解る自分は余りの情けなさに涙が出る程くやしかつたと嘆いてをつた。「掌櫃《チヤンコイ》」の意味日本語で「番頭」と訳してゐる。自分の夫であり、勅任官の総領事閣下を指して、「番頭まだ帰らぬか」と言ふのを聴いて日本人たる者誰か憤慨せざらんやである。この令夫人の軽薄さも甚だしいが、なぜ通訳官にチヤンコイの意味を日頃教へて貰はなかつたか。なぜ生噛りの支那語を使はねばならなかつたか。何が故に「閣下はまだお帰へりにならぬか」と立派な日本語を使はないのか。かかる誤つべからざる過ちは西洋人間には絶対にないことを断言して憚らぬ。既に世の中は一変した。英人が世界中を英語で押し通すやうに今後の日本人は、支那人だけではない、相手が英人であらうと露西亜人であらうと、解らうと解るまいと頓着なしに日本語一天張で行くのが大日本人の見識でなければならぬ。と同時に今後の支那には日本語を大々的に普及させるのが急務中の一大急務である。今後五年間に少く共百万人位の支那人に、日本語を教へる計画を立てゝ欲しいものだ。

 又これは言葉ではないが、日本人支那人手紙を送る場合、飜訳家を探し、飜訳料を払ひ、苦心して日本文支那文に訳して貰つて出すのであるが、支那人日本文を以て返事をくれる場合は少い。彼等は平気で支那文手紙日本人に向つて送つてゐる有様だ、これも全くの事実である。日本人よ、今後の日本人はもつと/\大国民にならねばならぬ。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437297/19