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2013-01-14

[]「支那語ではない。勿論日本言葉ではない」(三村竹清「一兵卒従軍記」) 「支那語ではない。勿論日本の言葉ではない」(三村竹清「一兵卒従軍記」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「支那語ではない。勿論日本の言葉ではない」(三村竹清「一兵卒従軍記」) - 国語史資料の連関 「支那語ではない。勿論日本の言葉ではない」(三村竹清「一兵卒従軍記」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

聞く所によれば、今度の支那事変には、支那人日本兵を皆先生《シイサン》と呼ぶさうである。これでも時代変化がうかゞはれる様な気がする。先生と呼んで灰吹の掃除は御免を蒙りたい。略字省字の事もあるが、活字が面倒さうだから止す。同文通考和楷正訛にもあつた様だし、古い所の如蘭社話にも出てゐるにはゐるが、自分は現在満洲で普通に行はれてゐる所を知り度かつたのだ。とにかく文と又と寸との濫用で、鶏といふ字は又扁に鳥、趙は文に走といふ調子だつた。併し日本の大安賣が大安売になるやうな事は無い。あんな無茶をするから侮られる。

 情事を〓〓《サイコ》々々といふ事は、兵隊も冗談に言ふし、向うでも巫山戯で言ふのだが、汪に聞けば、それは支那語では無いさうである。汪は日本語でせうといふが、勿論日本言葉では無い。或は朝鮮語のナクナクが訛つたのだらうといふ人もあつたが、其ナクナクとは何を朝鮮では意味するのかも知らぬから話にならぬ。此外に開路《カイロ》々々といふ言葉がある。往く事も返る事も、総て開路々々で、日本兵も支那人もこれで通用してゐる。これは恐らく日本の帰るといふ言葉からきたのであらう。かういふ新語が出来て、それがあとへ残つて、いくつかの方言を留めて行くのではあるまいか。メシメシといふのもその一ツである。或日一人の老爺が興奮して本部へやつて来て、わめいて何か訴へてゐる。書いたものを見せるから、取つて見ると、馬梅西がどうかしたのを日本兵が拒んでどうとかと書いてゐるらしく、一向解せぬ。馬梅西は確に人名と思つたので訊ねると、マーメシだといふ。そこで試に当人に読ませたら、片言日本語漢字音で写したので、奴等、馬糧を地下へ埋蔵して置いた所、其埋蔵した場所へ、吾隊で厩舍を建て義しまつたので、取出す事が出来ぬ。少し掘り掛けたら、兵隊に怒られた。事情を言つても言語が通ぜぬので、兵隊は一途に折角建てた厩舍を片付けるとのみ解して拒む。そこで万葉仮字の訴状を認めて来たらしかつた。

三村竹清集』8(日本書誌学大系)pp.285-386

一兵卒従軍記 初題「日露戦役思ひ出ばなし」。「日本及日本人」三五八(昭和一三年三月)~三七四(昭和一四年七月)の十六回連載。