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2013-01-13

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松原致遠編『大久保利通』(明45・5、新潮社)pp.16-17

大久保さんは戊辰の前までは始終藩政に尽して居られたが、大西郷江戸などへも出て広く天下の志士と交はって居た。水戸の藤田、越前の橋本などと交はって、よく天下の形勢を知って居られた。おいなど子供心に覚えて居るが、西郷どんは世間を知っちょる、鹿児島弁は使はれぬさうで『さうでござります』といふ江戸言葉を言はれるといふ噂ぢゃった。五つ紋に仙台平の袴をつけて礼儀も正しかった。何しろ西郷大久保と言ったらパリ/\したもので、家老も門閥も二人には叶はなんださ。大西郷も大久保公もお小姓組から出て君側へ上る事になって居た。西郷は身卑賤より起りとか何とか或本に書いてあったが、物を知らぬ奴ぢゃ。お小姓組は立派な門地ぢゃ、大西郷も大久保さんも同じ頃に藩へ出て、お小納戸といふ役をやって居た。

綱淵謙錠『人生覗きからくり』文春文庫 pp.101-102での引用で知る。