国語史資料の連関

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2007-06-16

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    二十三 「とても」

「とても安い」とか「とても寒い」と云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉東京にも全然なかつたわけではない。が従来の用法は「とてもかなはない」とか「とてもまとまらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。

 肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河みかはの国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄げんろく四年に上梓じやうしされた「猿蓑さるみの」の中に残つてゐる。

秋風あきかぜやとてもすすきはうごくはず 三河みかは子尹しゐん

 すると「とても」は三河の国から江戸へ移住するあひだに二百年余りかかつた訳である。「とても手間取つた」と云ふ外はない。

     二十七 続「とても」

 肯定こうていに伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ばない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに行はれるやうになつた。たとへば「とても綺麗きれいだ」「とてもうまい」の類である。この肯定に伴ふ「とても」の「猿蓑さるみの」の中に出てゐることは「澄江堂雑記ちようかうだうざつき」(随筆集「百艸ひやくさう」のなか)に辯じて置いた。その島木赤彦しまきあかひこさんに注意されて見ると、この「とても」も「とてもかくても」の「とても」である。

秋風やとてもすすきはうごくはず 三河みかは子尹しゐん

 しかしこの頃又乱読をしてゐると、「続春夏秋冬ぞくしゆんかしうとう」の春の部の中にもかう言ふ「とても」を発見した。

市雛いちびなやとてもかずある顔貌かほかたち 化羊くわやう

 元禄げんろく子尹しゐんは肩書通り三河の国の人である。明治化羊くわやう何国なんごくの人であらうか。


田中章夫東京語時代区分」(『国語と国文学』1988.11「東京語の歴史」)

播磨桂子 1993 「とても」「全然」などにみられる副詞用法変遷の一類型、『語文研究』75、九州大学

新野直哉 "全然"+肯定について、『国語論究 第6集 近代語の研究明治書院