国語史資料の連関

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2007-05-24

「的」(大槻文彦「文字の誤用」復軒雜纂』) 「的」(大槻文彦「文字の誤用」『復軒雜纂』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「的」(大槻文彦「文字の誤用」『復軒雜纂』) - 国語史資料の連関 「的」(大槻文彦「文字の誤用」『復軒雜纂』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

それから、今の世に、的の字を頻りと用ゐるが、その元は、たはけた話であるから申さう、今の文に、「反抗的態度」などは、「反抗様態度」などいふやうな意に用ゐて居る、「軍事的設備」、は「軍事上設備」・「独逸教育」は、「独逸教育」、「学者的口気」は、「学者然たる口気」、といふやうに用ゐて居る、的の字を、かやうに用ゐるは、支那官話小説に、常の事であるけれども、此の的に、「様」、「上」、「風」、「然」などいふ意は決して無い、[……]

「底」、「地」「的」皆同じものである、是等皆「様」、「上」、「風」、「然」の意義は更に無い、然るに、今では、立派な学者も、皆何々的を用て、今、俄に、是を廃止としたなら、筆は動くまいと思ふ程である、的の字の真義を調べて用ゐて居るのか知らぬ、大方、調べずに用ゐて居るのであらう、調べれば、そんな意味の無い字であるから、我慢にも用ゐられる訳のもので無い、しかしながら、此の的の字を、かやうに用ゐるやうになつたには、原因が無くてはならぬ、原因、大にありである、其原因は、かやうな訳である、明治維新の初に、何んでもかでも、西洋々々で、翻訳流行の時があッた、諸藩で大金を出して、洋学書生に、何原書でも翻訳させた、其頃、拙者が知ッて居る人々で、善く翻訳をして居たは、柳河春三桂川甫策、黒沢孫四郎(河津祐之の事)箕作奎五(菊池大麓君の兄さん)、熊沢善庵、其他、某々等であッて、拙者なども、加はッて居ッた、さうして、不思議な事には、此仲間が、大抵支那小説水滸伝金瓶梅などを好んで読んで居た、或る日、寄合ッて雑談が始まッた、其時、一人が、不図、かやうな事を言ひ出した、Systemを組織と訳するはよいが、Systematicが訳し悪くい、ticといふ後加《アトクハ》へは、小説の的《テキ》の字と、声が似て居る、何んと、組織的と訳したらば、どうであらう、皆々、それは妙である、やッて見やう、やがて組織的の文で、清書させて、藩邸へ持たせて、金を取りにやる、君、実行したのか、うゝ、それは、ひどいではないか、何に、気がつきはせぬよ、などといふ戯れであッたが、扨此の的の字で、度々、むつかしい処が切り抜けられるので、遂に、嘘から真事といふやうな工合で、後には、何んとも思はず、遣ふやうになッて、人も承知するやうになッたが、其根を洗へばticと的が、声が似て居るからといふ事で、洒落に用ゐた丈の事で、実に棒腹すべき事である、是れが、的の字のそも〳〵の原因である一其頃の仲間は今では、皆んな死んで仕舞つて、熊沢といふ仁が、大坂に一人達者で居るのみで拙者でも話して置かぬと、此馬鹿気た話が、湮滅して仕舞ふから、死者に代て、讖悔に話します、此話は、決して嘘ではない、其証拠には、明治以前の翻訳書は勿論、世のあらゆる書物を御覧なされ、

何々的などいふ用字は、何の書にもない、的の字のある文は、すべて明治初年から後の書である、今一ッの証拠は、斯く申す拙者も、三十年来、随分、文章といふものを沢山書いて、世に発表して来たが、凡そ拙者が書いた文章中には、的の字を用ゐた事は、一ヶ処もない積りである、用ゐぬのは、根元を知つて居るから、馬鹿気て用ゐられぬのである、的の字などは、つかはずとも、外にいくらも字があつて、不自由はせぬ、尤も、多く書いた文の中には、我知らず、一ヶ処や二ヶ処、的の字を用ゐたことがあるかも知れぬが、夫れは、思はず流行に釣り込まれたので、自分で書く気で書いたのではない、誠に、はや、「幽霊の正体見たり枯尾花」、とでも言はうか、吾等が罪は余程深いと思つて、自首するといふやうな仕合はせである。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991568/148

大槻文彦『復軒雜纂』(1902)


広田栄太郎「「的」という語の発生」広田栄太郎『近代訳語考』

【的】