国語史資料の連関

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2013-06-01

柳田国男「蝸牛考」改訂版の序 柳田国男「蝸牛考」改訂版の序 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 柳田国男「蝸牛考」改訂版の序 - 国語史資料の連関 柳田国男「蝸牛考」改訂版の序 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 方言覺書を、一册の本にした機會に、暫らく絶腹になつて居た蝸牛考を、今一度世に問うて見ようといふ氣になつた。説明が拙なかつたと思ふ個所に少しく手を入れ、又附表の地圖を罷めて、やゝ排列の形式を變へて見た。その爲に意外に時日がかゝつたが、もう是でよろしいとまでは言ふことが出來ない。或は幾分か前よりは判り易くなつて居ると思ふがどんなものであらうか。本の内容と共に、新たなる讀者の腹藏無き批到を受けて見たい。

 國語の改良は古今ともに、先づ文化の中心に於て起るのが普通である。故にそこでは既に變化し、又は次に生れて居る單語なり物の言ひ方なりが、遠い村里にはまだ波及せす、久しく元のまゝで居る場合は幾らでも有り得る。その同じ過程が何囘と無く繰返されて行くうちには、自然に其周邊には距離に應じて、段々の輪のやうなものが出來るだらうといふことは、至つて尋常の推理であり、又眼の前の現實にも合して居て、發見などゝいふ程の物々しい法則でも何んでも無い。私は單に方言といふ顯著なる文化現象が、大體に是で説明し得られるといふことを、注意して見たに過ぎぬのである。この國語變化の傾向は、我邦に於ては最も單純で、之を攪き亂すやうな力は昔から少なかつたやうに思ふ。たとへば異民族の影響が特に一隅に強く働くとか、又は居住民の系統が別であつた爲に、同化を拒んだり爰協を要求したりするといふ、佛蘭西方言圖卷の上で説かれて居るやうな原因といふものは、探し出さうとして見ても、さう多くは見つからないのである。然るにも拘らす、或若干のもの、とり分けても蝸牛の單語の如きは、この附表に載せただけでも既に三百種、種類を分けて見ると六つ七つの異なるものがあり、地方によつてはそれが又入り交つて、時としては部落毎にといふ程もちがつて居る。一方には古事記萬葉集編纂よりも前から、今に至るまで一貫して同じ語を用ゐて居る例も澤山あるのに、是は又何とした錯雜であらうか。考へて見ずには居られぬ問題であつた。單語や表出法の或特定のものだけに、他と比べて殊に急激に變化し、且つその流傳と模倣とを促す樣な性質が具はつて居たものであらうか。但しは又それを迅速ならしめるやうな外側の事情が、偶然に來つて之に附隨することになつたものであらうか。斯ういふ特別の事情に至つては、寧ろ茲に謂ふ所の周圈説ばかりでは、解説し能はざるものであつた。方言即ち一つの國語の地方差が、どうして發生したかを知った上で無いと、國語の統一は企て難いものであるのみならす、假に一度は無理に統一して見ても、やがて又再び區々になることを、防止する望みも持つことが出來ない。さうして方言成立ちを明かにしようといふには、斯んなやゝ珍らしきに過ぎた一つの實例でも、之をたゞ不思議がるばかりで打棄てて置くといふわけには行かぬのである。それ故に自分は、國語に影響したと思ふ數多の社會事情の中から、先づ兒童の今までの言葉を變へて行かうとする力と、國語に勢する歌謠唱辭の要求と、この二つだけを抽き出して考へて見ようとしたのである。言葉は年數よりも使用度のはげしさによつて早く古び、その又新らしい方の言葉の好ましさといふものは、利用者の昂奮心理とも名づくべきものによつて、一段と強く鋭どくなるのでは無いかといふことを、問題にして見ようとしたのである。兒童と民間文藝と、この二つのものに對する概念が、我邦ではどうやら少しばかりまちがつて居た。それを考へ直してもらひたいといふ氣持もあつて、ちやうど斯ういふ頃合ひの話題が見つかつたのを幸ひに、私は力を入れてこの蝸牛の方言を説いて見ようとしただけである。いはゆる方言周圈説の爲に此書を出したものゝ如く謂つた人の有ることは聽いてゐるが、それは身を入れて蝸牛考を讀んでくれなかつた連中の早合點である。成るほど本文の中には周圈説といふものを引合ひに出しては居るが、今頃あの樣な有りふれた法則を、わざ/\證明しなければならぬ必要などがどこに有らうか。

 それよりも更に心得難いことは、この周圈説と對立して、別に一つの方言區域説なるものが有るかの如き想像の、いつまでも續いて居ることである。方言は其文字の示す通り、元來が使用區域の限られて居る言葉といふことなのである。區域を認めない方言研究者などは、一人だつて有らう筈が無い。たゞ其區域が數多くの言葉に共通だといふことが、一部の人によつて主張せられ、他の部分の者が信じて居ないだけである。今からざつと四十年前、まだ方言の實査の進んで居なかつた時代に、中部日本の或川筋を堺にして、東と西とでは概括的な方言のちがひが有ると、言ひ出した人たちが大分有った。是がもし其通りなら大きなことで、或は方言以上、もとは相似たる二つの言語といふ樣な結論にもなり兼ねぬのであつたが、其推定を支持するやうな資料は、今になつても格別増加して居らぬのみか、寧ろ反對の證據ばかり現はれて居る。動詞打消しのユカヌ・イハヌを、イハナイ等の形容詞風に改めて見たり、命令形に添附するヨをロに變へたり、さては觀音喧嘩等をカンノン・ケンカと發音したりするのは、それ/゛\に一つの好み又は癖であつて、從つて屡〻一地方に偏しては居らうが、東にも元の形は併存して居るばかりか、西にもその變へ改めた形のものが、毎度のやうに拾ひ出されて居る。甲乙丙十幾つかの言葉の、一つが變つて居ればその他も之に伴なうて、必然に改まつて來るといふことは、絶無とまではまだ言ひ切るだけの根據は無いが、さうなる原因もわからず他に類例も無い以上は、先づ當てにはならぬと見る方が當つて居る。とにかくにさうなつて來てもよい理由が、現在はまだちつとでも説明せられず、しかも又事實も其通りでは無いのである。どうして此の樣な想像説が、いつ迄も消えずに有るのかすらも我々には不審なのである。是と方言周圈論とを相對立するものと見るといふやうな、大雜把な考へ方が行はれて居る限りは、方言の知識は「學」になる見込は無い。きつとさうだといふ事實も立證せられす、又さうなつて來た經過も追究せられて居ないのに、それでも一つの學説かと思ふなどといふことは、大よそ「學」といふものを粗末にした話であつた。今や國語の偉大なる變遷期に際會しつゝ、果して其變遷には法則が有るのか、もしくはたゞ行き當りばつたりに、亂れて崩れて斯うなつてしまつたのか、どちらであるかといふことさへ、まだ學界の問題になつて居ない。それが私などの考へて居るやうに、個々の小さな表現生老病死、一つ/\の言葉の運命とも名づくべきものを、尋ね究めて比較し綜合して見ることによつてのみ、辛うじて近より得る論點であるといふことを、學者に認めてもらふだけでも、又大分の年月がかゝることであらう。爭つて見たところでしかたの無いことはよく知つて居るが、さりとてたゞ茫然と時の來るのを待つて居るわけにも行かない。舊版の蝸牛考が久しく影を隱して、愈〻いゝ加減な風評ばかりが傳はつて居る折から、少しでも判りやすく文章のそちこちを書き直して、今度はもう一ぺん專門家以外の人の中から、新らしい讀者を得たいと念ずるやうになつたのも、言はゞ近年の味氣無い色々の經驗がさうさせたのである。しかも一方に於て、國語が國民の生活そのものであり、人に頼んで考へてもらつてよい樣な、氣樂な問題ではないといふことが、此頃のやうに痛切に感じられる時代も稀である。今まで我々が考へすに過ぎたのは、一つには刺戟が鈍かつた爲といふこともあらう。それには少なくとも蝸牛考などは、一つの新らしく又奇拔なる話題を提供して居るのである。最初から單なる物好きの書では無かつたのである。

柳田國男