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『かたこと』53条

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一 物のせまりを[ぜつぴ]といふこと葉は。是非《ぜひ》といふ心歟。とにかくに[ぜつぴ]は浅《あさ》ましき俗語《そくご》成べし。

その外。[ひやぢ]。[かこい]などいふやうのこと葉のおこりは。大かた唐国《もろこし》人のこと葉成べし。かるたといふ物より出《いで》たること葉にやといふ人も侍る。

惣《さう》じて南蛮《なんばん》言葉 唐人口《たうじんぐち》などは。いさゝかもいふべからざる歟。

あしきことは何《なに》のうへにてもおぼえやすくして忘《わす》れがたし。よき事《こと》はおぼえがたくて忘《わす》れやすしと云り。されば舌《した》どき人のまねをしならへば。しとやかなる物いひもたちまち舌《した》どになりて訥《ども》り侍れど。舌《した》どなる人が。しとやかなる口まねはいと習《なら》ひがたし。されども嗜《たしなみ》にて年久《としひさ》しう学《まな》べば舌《した》どなるも終《つゐ》になをり侍るとかや。

夷《えぞ》が千嶋《ちしま》のこと葉などの。だみたるは。いかに世にはやるともかりにも学《まな》ぷべからずと云り。

惣《そう》じて。都《みやこ》のこと葉も。昔《むかし》はよかりしかど。いつの程《ほど》よりや田舎こと葉のまじりて。あしくなりけるとぞ。吉田《よした》の兼好法《けんかうほう》しは後宇多院《ごうだのゐん》の時《とき》の人なり。そのころさへ早《はや》いやしきこと葉のはやり侍るとて。車《くるま》もたげよ。火《ひ》かゝげよといふべきを。もちあげよかきたてよなどいへりしを嘆きてつれ/\草に書たれたるにや。今《いま》はその。もちあげよかきたてよが。よきこと葉の品《しな》になり侍るにや。かゝげよ。もたげよなどいひ侍らば。人|笑《わら》ひになり侍るべし。まことに歎《なげ》かしきことならずや。応仁《をうにん》の乱《みだ》れより都《みやこ》の風俗《ふうぞく》おほくことあらたまりてあしう成行《なりゆき》侍しとかやいひ伝《つた》へし。応仁《をうにん》はさのみ遠《とを》しともいふべからずかし。

しかはあれど。かう治《おさ》まりたる御代《みよ》なれば。をのづから代《よ》の声《こゑ》もやはらかなれど。是《これ》は我子《わがこ》のつたなくて。いやしき女《め》のわらはなど。さしつどへて。むかしくかたるを聞《きゝ》なれ云《いひ》なれ侍るにしらしめんとて。長《なが》/\しう記《しる》し侍るは。心の闇《やみ》のはるけがたくてなん


(『近代語研究3』66~70)

引用

松村明(1986)『日本語の世界日本語の展開』p15

総じて、都のこと葉も、昔はよかりしかど、いつの程よりや、田舎こと葉のまじりて、あしくなりけるとそ。吉田の兼好法しは後宇多の院の時の人なり。そのころさへ早《はや》いやしきこと葉のはやり侍るとて、車もたげよ、火かかげよといふべきを、もちあげよ、かきたてよなどいへりしを歎きて、つれづれ草に書かれたるにや。今は、その、もちあげよ、かきたてよが、よきこと葉の品になり侍るにや。かかげよ、もたげよ、などいひ侍らば、人笑ひになり侍るべし。まことに歎かはしきことならずや。応仁の乱れより都の風俗おほくことあらたまりて、あしう成り行き侍りしとかやいひ伝へし。