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2004-10-01

[漢語]慶應第四年戊辰夏五月『都鄙新聞』第一

此頃《このころ》鴨東《かはひがし》の芸妓《げいこ》少女《まひこ》に至る迄、専ら漢語《からことば》を使ふことを好み霖雨に盆池《ぼんち:せんすい》の金魚が脱走し、火鉢が因循《いんじゅん》してゐるなど、何のわきまへもなく、いひ合ふこととなれり。又は客に逢ふて、此間の金策の事件に付建白の御返答なきは如何が、など実に聞に堪えざること也。鴨西漁隠曰、己れ若かりし比は近国近在富農の娘を京奉公に出すは、給金に不拘、行儀言詞のやさしきを習ふが為め也。糊《のり》を「のもじ」と呼び、葱《ねぎ》を「ねもじ」といひ、「かちん」をはやして「をむし」にて烹るなど、如何にも皇都《みやこ》の優なる詞《ことば》なるを、鰷《どじょう》に天誅を加へ、鮒に割腹させて、晩餐の周旋せん、閨中の事件は、我が関係せざる所なり、など、厨下《だいどこ》の少婢《しろは》に嘲らるゝ、面白き時勢となれりと云々

(原文は片仮名・「」は傍線)

『幕末明治新聞全集』第5巻 pp.74-75

『日本初期新聞全集』15 pp.429-430


【参考文献】

明治文化全集』十七

飯田晴巳『明治を生きる群像 近代日本語の成立』 p.20

池上禎造(1957)「漢語流行の一時期」(『国語国文』)『漢語研究の構想』 p.52

池上禎造(1974)「日本における漢字」(『アジア文化』112)『漢語研究の構想』p.20

岩淵悦太郎(1952)「明治の自由学校」 『言語生活』 昭27・1 p.68 (未確認)

岩淵悦太郎(1958)「明治初期の国語政策論」『言語生活』昭和33.11(『国語史論集』)

岩淵悦太郎『日本語を考える』(講談社学術文庫) p.161

上野力「明治中期における漢語の使用」

加賀野井秀一『日本語を叱る!』(ちくま新書) p.93 「盆地」

樺島忠夫(1981)『日本語はどう変わるか』岩波新書 p.3 「盆地」

木村秀次(1994)『研究資料漢文学10』明治書院 p.262

小島憲之『日本文学における漢語表現』

佐竹昭広「和語と漢語」

寿岳章子(1960)『現代のことば』三一新書 第1章 pp.23〜24

寿岳章子(1979)『日本語と女』岩波新書

進藤咲子「漢語サ変動詞の語彙からみた江戸語と東京語」国語学 054

杉本つとむ『読む日本漢字百科』雄山閣 p.10

槌田満文(1983)『明治大正の新語・流行語』p.14(池上1957を引く)

中山泰昌(1934)『新聞集成明治編年史1』p.78 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/70

日置昌一(1950)『話の大事典 第1巻』万里閣 昭25.12.10 p.355

日置昌一(1952)『ものしり事典 言語篇』河出書房 昭27.10.15 p.73

飛田良文(1992)『東京語成立史の研究』東京堂出版 p.430

松井利彦(1977)「漢語辞書の展開—『布令字弁弐篇』と『未味字解漢語都々逸』の成立をめぐって—」 『京都教育大学国文学会誌』 13 『近代漢語辞書の成立と展開』

松井利彦「近代漢語の位相」『日本語学』1993.7

水原明人『江戸語・東京語・標準語』講談社現代新書 1994.8

吉田光邦『京都往来』1982 pp.147-148

米川明彦『新語と流行語』南雲堂

『漢字講座10』明治書院 p.141

『日本語百科事典』p.453

『日本を知る小事典2ことばと表現』現代教養文庫

『講座国語史・語彙史』大修館書店 p.361

『日本語の歴史6新しい国語への歩み』 p.304

【関連文献】

松田修(1976)「西洋道中膝栗毛の位相」『国文学』21-10

 「脱走」が流行語であることの指摘。

他にも、グーグルブックスで検索すれば、猶ヒットする。