2004-10-02 2004-10-02 ■ [漢語]慶應第四年戊辰夏五月『都鄙新聞』第二 仏蘭西人の話の釈文大坂より来状抜書 ○この頃、大政一新せる日本帝国の布令多くは支那の語を用ゆるが故に、民間に読む者甚少く、読て其意を解せざる者、十人に八九人なりと云。これ文学技芸の教育ゆきとゞかざる故なるべし。各国文明の開けし折柄、如此き闇昧の土地は世界中にまれなりと思へり。各里各村に於て小学校を建てざるべからずと云。(原文は片仮名)【参考文献】中山泰昌(1934)『新聞集成明治編年史1』p78池上禎造(1957)「漢語流行の一時期」(『国語国文』)『漢語研究の構想』 p52松井利彦『近代漢語辞書の成立と展開』ツイートする