国語史資料の連関

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2010-02-26

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○名乘を反すといふ事、何者のしはじめたる事なる。今の世には、王公大人の定れる法のやうになれるは、上を學べぱなり。詞花集の頃よりと聞ゆ。異國に齊の明帝、ことの外に物をいまふ性にて、人の名を反したる事あり。それは唐音にて、ひゞきのかよへるをにくめぱ、さもあるべし。此國にては、和訓にて讀なれば、かゝるさまたげもなし。唯占術の二つになりて、人のまどへるなり。韻鏡といふものは唐音を正すべきために作れる事なるを、うらかたの書のやうに覺ゆるは、愚かなる事の至れるなり。韻鏡に載たる字は、一音なる字多き中にて、近く聞馴たる字を、一つ出せる事なれば、其字の義にてのみ、吉凶を定むべきやうなし。一音の字多き内には、あしき義の字もあるべけれども、とにかくに書面に見えたる字の義をのみとれるは、易の象などのやうに心得たるにや。此故に今の世には、とほり字の同じくて、うまれししやうの同じき人は、皆同じ名乘なり。名乘のおこなはれぬ世なればこそ、かくにてもまがひもなけれど、昔のごとく姓と名乘にて世におこなはゞ、一萬の人のあつまりたる都にては、同名の人の四百も五百もあるべきなり。