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2007-06-08

[][]「反切人名」(文雄韻鏡指要録』) 「反切人名」(文雄『[[韻鏡指要録]]』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「反切人名」(文雄『[[韻鏡指要録]]』) - 国語史資料の連関 「反切人名」(文雄『[[韻鏡指要録]]』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

(『磨光韻鏡後篇』)

  反切人名

韻鏡にて人の名を反すと云コト中夏にはせざるコトなり。我邦近世の俗弊にて杜撰せるよし韻鏡索隠に辯じ畢れり。然るに是に似たるコト中夏にもなきにしも非ず。近歳新渡の書に『音学五書』と題せる両套の書あり。明の亭林顧炎武が作なり。其中南北朝の比人名を反切し正反倒反シテ帰字の義を以て戯弄せるコトあり。是を反語と云。其語に曰、南北朝人作反語多是双反韻家謂之正紐倒紐史之所載如晋孝武帝作清暑殿有識者以清暑反為楚聲楚聲為清聲楚為暑也宋明帝多忌袁粲旧名袁愍為隕門隕門為袁門隕為愍也劉悛旧名劉忱為臨讐臨讐為劉讐臨為忱也斉世祖於青溪立宮号曰旧宮時人反之曰旧宮者窮廐窮廐為旧廐窮為宮也文恵太子立楼館于鍾山下号曰東田東田反語為顛童顛童為東童顛為田也梁武帝創同泰寺開大通門対寺之南門取反語以協同泰同泰為大泰同為通也陳後主名叔宝反語為少福少福為叔福少為宝也北斉劉逖請改元為武平謂和士開曰武平反為明輔明輔為武輔明為平也隋文帝謂楊英反為〓殃為楊英為〓英楊為殃也唐高宗改元通乾以反語不善紹停之通乾反為天窮通乾為天乾通為窮也又如水経注索即酒反為桑落桑落為索落桑為即也孔氏志怪盧充幽婚反為温休温休爲幽休温爲婚也又有三字反者呉孫亮童謡曰於何相求常子閣常子閣者反語石子〓常閣爲石閣常爲〓也斉武帝永明初百姓歌曰陶郎来言唐来労也陶郎爲唐郎陶爲労也梁武帝中大通中民間謡曰鹿子開城門鹿子開者反語爲来子哭鹿開爲来開鹿爲哭也《已上》雄案ずるに殆一時の戯謔に似たり。南北朝の比、或は双声畳韻を以て文章詩賦を論じ、又平常戯弄の語と成し、或は軍中相図の隠語となせるコトあり。亦反語の類なり。流弊人名を反シテ戯弄し殿堂年号皆反す一時風を成せり。然りといへトモ本聖経の常教に非ず。不経の故を以て盛唐以後其説あるコトを聞かず。矧前に挙る所の如きは韻図これなき以前髣髴たる音を認めて是を言ふ。今韻鏡に検すれば齟齬する者多し。徒に是諧謔なるのみ。

原文は片仮名


韻鏡による姓名判断。


古事類苑 姓名部九「名下」「反切人名」


佐藤稔『読みにくい名前はなぜ増えたか』ISBN:464205636X吉川弘文館p81では、引用せぬが言及。