2009-03-16
■ [方言意識史][言語生活史]「東京弁になろうとしても東京弁になり得ず」(斎藤茂吉)
私が東京に来て、連れて来た父がまだ家郷に帰らぬうちから、私は東京語の幾つかを教わった。醤油《しょうゆ》のことをムラサキという。餅《もち》のことをオカチンという。雪隠《せっちん》のことをハバカリという。そういうことを私は素直に受納《うけい》れて今後東京弁を心掛けようと努めたのであった。
私が開成中学校に入学して、その時の漢文は『日本外史』であったから、当てられると私は苦もなく読んで除《の》ける。『日本外史』などは既に郷里で一とおり読んで来ているから、ほかの生徒が難渋《なんじゅう》しているのを見るとむしろおかしいくらいであった。しかるに私が『日本外史』を読むと皆で一度に笑う。先生は磯部武者五郎という先生であったがお腹《なか》をかかえて笑う。私は何のために笑われるかちっとも分からぬが、これは私の素読は抑揚|頓挫《とんざ》ないモノトーンなものに加うるに余り早過ぎて分からぬというためであった。爾来《じらい》四十年いくら東京弁になろうとしても東京弁になり得ず、鼻にかかるずうずう弁で私の生は終わることになる。
「三筋町界隈」