2007-09-02
■ [言語生活史]文字死活
一書札文字死活
書札の文字にも死活あり。たとへば一筆啓上仕候より御無事御堅固云々、私宅無恙時候御自愛、猶期後音云々は何事もなきにも書しもかゝざるもしれぬ程の事なり。其間に此間の寒気は弊郷は海浜に氷を見、或は半月一月の旱なるに、よそには夕立すれどもこゝにはふらずなどいふは、おなじ寒喧を叙るにも、其地の気色もおもひやられて、書状の文字も活するなり。月日の末に此書認たる時は、雨しきりにふり時鳥二声三声おとづれぬなどかきたるは、いよ\/其時其人のすがたもおもはるゝ様にておもしろし。長さ三尋あまりある書札にても死たるあり、三行四行の書にても活たるあり、これらは書札にかぎらず、詩歌連俳にては心づくべきことなるべし。
山田愚木『書翰文作法』大正三年、岡村書店
菅茶山は其の著「筆のすさび」の中に、文字の死活といふことを論じて、
書札の文字にも死活あり。例へば一筆啓上仕候より御無事御堅固云々、私宅無恙時候御自愛、猶期後音云々は何事もなく書きしも書かざるも知れぬ程の事なり。其間に、此間の寒気は弊郷に氷を見、或は半月一月の旱なるに、餘所には夕立あれどもこゝには降らずなどいふは、同じ寒喧を叙ぶるにも、其地の気色も思ひ遣られて、書状の文字も活するなり。月日の末に此書認たる時は、雨頻りに降り時鳥二声三声おとづれなどかきたるは、愈々其時其人のすがたも思はるゝやうにて面白し。長さ三間あまりある書札にても死たるあり、三行四行の書にても活きたるあり。
といってゐる。やはり書翰文に於ける定り文句を排したもので、所謂る死活は、定り文句を排すると否とに依って岐れるのである。
茶山の書簡を見ると、候文體を用ひながらも、巧みに定り文句を避けゐるから、一言一句が全て活さてゐる。(中略)普通一般の人に在っては、候文體は何時でも定り文句に墮するの弊を免れない。候文體の最大缺點は、實にこゝに在るのである。
p152-153