国語史資料の連関

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2007-03-16

本居宣長字音仮字用格』3「オヲ所属辨」 本居宣長『字音仮字用格』3「オヲ所属辨」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 本居宣長『字音仮字用格』3「オヲ所属辨」 - 国語史資料の連関 本居宣長『字音仮字用格』3「オヲ所属辨」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント


オは輕くしてア行に属し、ヲは重くしてワ行に属す、然るを古来錯りて、ヲをア行に属て輕とし、オをワ行に属して重とす、諸説一同にして、数百年来いまだ其非を暁<さと>れる人なし、故に古言を解(く)にも、此(の)オヲにつきては此彼快からざることあり、又字音の假字<かな>を辨るには、いよ/\舊本の如くにては、諸字の假字一つも韻書と合者無く、諸説こヽに至て皆窮せり、是に因て予年来此(の)假字に心を盡して、近きころ始て所属の錯れることをさとり、右の如く是を改(め)て験<こヽろむ>るに、古言及(び)字音の疑はしき者、悉く渙然として氷釈せり、まづ古言を以ていはヾ、息<いき>を於伎<おき>とも通はし云、これオはイと同くア行の音なる故也、又居<ゐる>を乎流<をる>ともいひ、多和夜女<たわやめ>を多乎夜女<たをやめ>ともいひ、多和々<たわヽ>を登乎々<とをヽ>ともいひ、新撰字鏡に、悎字を和奈奈久<わななく>又乎乃々久<をのヽく>と註せる、これを皆ヲはワ行なる故の通音也、【右の言どもの於<お>乎<を>の假字は、みな古書に出たれば論なし】然るに是等を、たヾア行とワ行と通ずとのみ意得居るは、その解を得ずして強<しひ>たる者也、

さて又山城(の)國(の)郡名愛宕(は)於多岐<おたぎ>【阿多古<あたご>にも愛宕字を用ふ】尾張(の)郡名愛智(は)阿伊知<あいち>【本は阿由知なり】相模郡名愛甲(は)阿由加波<あゆかは>、近江(の)郡名愛智(は)衣知<えち>とある、これを愛字をアエオとア行音に通用せり、又上野(の)郡名邑楽(は)於波良岐<おはらき>、因幡(の)郡名邑美(は)於不見<おふみ>、石見(の)郡名邑知(は)於保知<おほち>、遠江(の)郷名邑代(は)伊比之呂<いひしろ>とある、これらに邑(の)字をイとオとに用たるもア行の通音也、又凡て一音の地名は、其(の)韻<ひヾき>の音の字を加(へ)て必二字に書(く)例、木<きの>國を紀伊とかくが如し、【伊<い>はキの韻<ひゞき>也】遠江(の)郷名渭<ゐ>伊、出雲(の)郷名斐<ひ>伊【和名抄今(の)本伊を甲と誤れり、風土記に伊に作る】筑前(の)郷名毘<ひ>伊【比】肥前(の)郡名基肄<きい>【木伊】肥後(の)郷名肥伊、備中(の)郡名都<つ>宇【近江越後などの郷にも此(の)名あり】同國(の)郷名弟翳<せ>【勢】薩摩(の)郡名頴娃<え>【江】和泉(の)郷名呼唹<を>【乎。神名式男<を>に作】參河(の)郡名寶飫【穂。今本飫を飯に誤れり】日向(の)郷名覩唹、大隅(の)郡名囎唹、これを皆同じ、然るに呼-唹、寶唹、覩唹、囎唹などにヲの假字を加<くは>へずして、皆オに用る飫唹等(の)假字を加へたる、【契沖大隅の囎唹に疑ひをなして、乎<を>をかくべきに唹を書るは、彼國の方言かと云るはいかヾ、和泉の呼唹などには心つかざりしにや】凡て韻<ひびき>はアイウエオに限れることなれば、是(れ)又ア行はオなる明證なり、【誌國郡郷の名は、和名抄に載て、其文字はみな奈良御代和銅神亀のころ、詔命によりて定まりしまヽなれば、いと古し】

【頭注】又神楽さいばら哥(の)古本に、長く引てうたふ声には、各其韻の安以宇衣於<あいうえお>の字を下に添て書るに、コソトノホモヨロヲの声にはみな於(の)字を添たり、求子(の)哥に、安波礼衣千者也布留賀戊能也之呂於乃於比女古於末川云々与呂川世於不止於毛於以呂於者安可老安良之とあるが如し、是又阿行の第五位は於にして、乎には非る一證なり、

さて又アイウオの四音は、語の中<なから>に在(る)ときは省く例多し、【これは古言を解せる人は、みなよく知(る)こと也、一(つ)に(つ)いはヾ上の連声にある韻<ひゞき>はアイウオいづれも省きて、跡<あと>をト、穴をナ、市をチ、石をシ、磐をハ、浦をラ、海をミ、上<うへ>をへ、馬をマ、面<おも>をモ、音をト、生<おふ>をフ、と云たぐひなり】ヲは省く例なし、これ又オはア行にてアイウと一例。ヲはワ行にて其例に非る故なり、又歌に、五もじ七もじの句を一もじ餘して、六もじ八もじによむことある、是(れ)必中<なから>に右のアイウオの音のある句に限れること也、【エの音の例なきは、いかなる理にかあらむ、未V考】古今集より金葉詞花集などまでは、此格にはづれたる歌は見えず、自然のことなる故なり、【万葉以往の歌も、よく見れば、此格也、千載新古今のころよりして此格の乱れたる歌をり/\見ゆ、西行など殊に是を犯せる歌多し】其例を一二いはヾ、源信朝臣、ホノ%\ト有アケノ月ノ月影ニ紅葉吹オロス山オロシノ風、これは卅四もじあれども、聞悪<きヽにく>からぬは、餘れるもじみな右の格なれば也、又後の歌ながら、二條院(の)讃岐、アリソウミノ浪間カキワケテカヅクアマノ息モツキアヘズ物ヲコソオモヘ、これは句ごとに餘りて卅六もじあり、其中に第二句のワは喉音ながらア行の格に非る故に、此(の)句はすこしきヽにくし、其他の四もじは皆右の格也、故に多く餘りたれども、耳にたヽざるは自然の妙也、【右のに首は後世に字餘りの例に引哥也、然れども右の定格の有(る)ことを知る人なし、是は予が始て考へ出せるところ也、可秘々々】然ればおのづからに如(き)V此(の)格のあるも、オはア行なる一つの證也、

○次に字音につきていはヾ、諸の古書【天暦以往】にオとヲとの假字に用たる字どもを考るに、オをア行。ヲをワ行とするときは、悉く韻書の旨に符合す、下に一々挙たる字の下を檢て悟るべし、若(し)旧慣の如く、ヲをア行。オをワ行とするときは、悉く軽重錯乱して、一字も音韻にかなふ者あることなし、

○五十連音(の)圖はもと悉曇字母に依て作れるものなるが、【其由は別に委(く)辨ぜり】其悉曇のアイウエオに各短長の二音ある、其オの短長を大日経金剛頂経文殊問経、及華厳続刊定記、空海悉曇釈義等には汙奥に作リ、涅槃経には烏炮に作り、大荘厳経には烏燠に作り、宝月三蔵は鴎奥に作り、難陀三蔵は于奥に作り、智廣字記には短奥長奥に作れり、安然悉曇蔵に見えたり、かくて其烏字は、御國の古書にヲの假字に用ひ、汚も又ヲの假字なれば、ア行はなほ舊の如くヲなるべしと思ふ人もあるべけれども、凡て悉曇の對譯の字にて、イヰエヱオヲは分り難きこと也、いかにと云に、まづ同梵音に對譯の字は彼(れ)と此(れ)と音の異なること多し、是(れ)五天埜の風土の音の異のみにも非ず、又翻訳者の時世、郷里の音の変異のみにも非ず、多くは漢字音の正しく梵音に当りがたき故也、何ぞと云に、同中天同南天の音を同時代に傳へたる書にても、對譯(の)字(の)音は一同ならず、同書の内にてすを、混雑せるもの尠<すくな>からず、一にをいはヾ、かの金剛頂経に、長ウ(の)に汚引、短(の)オにも汚とある、是(れ)に一つは引と註したれども、ウとオとはたヾ引と否るとの異のみならんや、梵音は必(ず)差別あるべきを、同く汚(の)字を當<あて>たるは漢字(の)音にて、混ぜること明らけし、又大荘嚴經等には、短(の)ウに烏【上声】長(の)ウに烏。短(の)オにも烏とあり、空海釋義には、長(の)ウにも汚【長声】短オにも汚【長声】とあり、これを又長(の)ウと短(の)オと全く混ぜり、ウとオとは豈長短の異のみならんや、又涅槃経には、長(の)エに野(の)字をかき、自餘の書には多くヤの音に野(の)字をかけり、是又エとヤと混ぜり、凡て梵音は、如V此混雑すべきやうなし、悉曇の十二音は殊に正しく分れずはあるべからず、此音亂るヽときは生字の音モ随て皆亂るべし、然れば是皆梵音に正しく當る漢字の得がたき故に、訳者の心々にて、音の似たりと思ふ字を当<あて>たるものにして、或ひは上声去声、或は短呼長声、或は声近某字或は鼻声彈舌などヽさま%\に註せり、又後(の)人の注釈にも、某字某々反、本音某々反と云ひ、或は不依字など云るも、對譯の音の梵音と合ざる故也、既にエとヤと混じ、ウとオとさへ混ぜるうへは、何ぞオとヲとを分つことを得ん、かの寶月の譯の鴎(の)字はオウの假字。字記の奥(の)字はアウの假字にて、これをは共に開口音なれば、オに近くしてヲには遠ければ、かの烏等に作る者と合(は)ず、なほ又慈覺の記には、短に於(の)字を用て、以本郷音呼之と註し、長に奥字を用たり、他の諸書には多く短には汙烏于等の字を用たるに、慈覺ひとり改て此於字に作れるは、三蔵の口に呼ところの梵音を親く聞て、ヲに非ずオなることを辨別へたるゆゑ也、御國人は其ころも、オとヲとの音差別ありて、児童もおのづからよくゎきまへつれば、彼人の聴分しこと勿論也、以本郷音呼之とあるにて、御国のアイウエオのオは、オにしてヲに非ることいよ/\明けし、但し五十連音図を作りし人は、かの諸書の對訳の汚烏等の字に依て、ア行にヲを置しも知がたし、又後に拠て入ちがひたるにてもあるべし、たとひ作者の意にて本より然るにもあれ、さやうにては御國の音韻に協はざること、上に舉たる諸證明白なれば、さらに疑ふべきにあらず、其うへかの慈覺の於に改しを思へば、悉曇の方にてもア行なるは、真の梵音はオなるを、烏等の字を以て譯せしは、漢字音の正しく當らざること明らけき物をや、